デイリーディボーション 5月24日(火)

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デイリーディボーション 5月24日(火)

2022年5月24日(火)
マタイの福音書 26章14-16節 14そのとき、十二弟子のひとりで、イスカリオテ・ユダという者が、祭司長たちのところへ行って、15こう言った。「彼をあなたがたに売るとしたら、いったいいくらくれますか。」すると、彼らは銀貨三十枚を彼に支払った。16そのときから、彼はイエスを引き渡す機会をねらっていた。
【ポイント】 ①理想と現実の狭間の苦悩を知る イスカリオテのユダはイエス様を金で売った「悪者」として認識されている場合が多いと思います。そして、「善人」だと思い込んでいる人は、「悪者」というレッテルを貼った者は自分とは関係ない者として切り捨ててしまう傾向があるようです。つまり、自分はイエス様を金で売るようなことは絶対にしないと思い込んでいるので、ユダの経験を自分に当てはめて考えることをしないということです。
ユダについて「イエス様を金で売った悪い者」以外に深く考えたことがあるでしょうか。そもそも、なぜユダはイエス様を祭司長たちに売り渡したのでしょうか?イエス様が、ユダに対して辱めを与えたり、馬鹿にしたような言動があったでしょうか。それは、極めて考えにくいですね。聖書の文脈から推測できる一つの理由は、弟子たちの「誰が一番偉いのか?」という議論です。「議論」といえば聞こえが良いわけですが、実際には弟子たちの間で争い、分裂・分派があったことは想像に難くありません。今週の説教の聖書個所でもありましたが、マタイ20章ではヤコブ、ヨハネとその母親がイエス様に自分たちがイエス様の弟子たちの中で一番偉い者であるという確約をもらうために抜け駆けをしたことが記録されています。他の弟子たちのなかには「裏切り」と感じた人もいたことでしょう。もしかするとユダもその一人であった可能性があるわけです。イエス様に恨みが無かったとしても、イエス様が逮捕されれば、自分を裏切ったり、自分を排除しようとする者たちへの報復ができるわけです。
また、ユダが一方的にイエス様に勝手な恨みを持っていた可能性もあります。他の弟子たちもそうであったように、ユダがイエス様が新しいイスラエルを建国すれば、すべてを捨てて従った自分も相当の地位につけるはずであるという、勝手な期待を持っていた可能性は非常に高いと言えます。しかし、イエス様が行おうとしていることは、「自分の勝手な期待や思い込み」とは全く違うものであることが、だんだんと明らかになっていきます。その中で、ユダはイエス様に騙されたと感じていたとしても全く不思議ではありません。
現代の教会の中に、「誰が一番偉いのか」に非常に近いような順位付け、競争はないでしょうか。現代のクリスチャンの中に、イエス様を信じることによって与えられる祝福について、勝手な想像や期待をしている人はいないでしょうか。祈っても自分の期待通りにならないことにいら立ちを覚えたり、失望したり、自分の不信仰を裁いたりするようなことがないでしょうか。
ユダの心の中の動き、弟子たちの間に起きていた出来事は決して他人事ではないのです。
マタイ24章9-13節 9そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。10また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。11また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。12不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。13しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
ライフチャーチ 大谷信道


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