デイリーディボーション 5月25日(土)

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デイリーディボーション 5月25日(土)

2019年5月25日(土)
マルコによる福音書 7:20-23 20また言われた。「人から出るもの、これが、人を汚すのです。21内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、22姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、23これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」
【ポイント】 ①「昔の人のたちの言い伝え」に注意する ーその5ー 恐らく、イエス様は、当時のユダヤ人指導者(祭司、律法学者、パリサイ人)たちの中に、今日の箇所で指摘している「これらの悪」のいくつかを見ていたのでしょう。特に、律法学者やパリサイ人は人々に「聖書の律法」と「昔の人たちの言い伝え」を守るように熱心に教えていましたから、教える本人が自分たちの問題点に気づいていないとしたら、それは「偽善」になってしまうのです。
これも恐らくなのですが、もし、律法学者やパリサイ人が自分の不完全さを自覚しながら教える者であったとしたら、イエス様はあれほど厳しく非難されることはなかったのではないかと想像できます。つまり、イエス様から見た律法が学者やパリサイ人の問題の中心は、彼らが完全に律法を守っていないこと(実際に完全に守ることは不可能)ではなく、不完全さを認めなかったり、隠したりしながら、「偉い人」かのように人々を教えていたことにあるのだと思われます(参照:マタイ23章)
ですから、イエス様を信じる私たちにとって大切なことは、表面的な戒律を守ることでも、人間が作り上げた伝統を習慣を踏襲することでもなく、生きておられる神様との生きた交わりを継続することなのです。とくに、日本人は真面目なので、仏教や神道の中にある伝統や習慣を守ることが大切なことだと刷り込まれている人が多いと思います。キリスト教会においても伝統や習慣を守ることが宗教団体として不可欠であると勝手に思い込んでいるクリスチャン、伝統や習慣を守るのが健全な教会だと思い込んでいる人が多いのではないでしょうか。
例えば、「幼児洗礼」の是非についても様々な議論があります。しかし、どのようにそれらしくこえる説明があったとしても、また、幼児洗礼を受けさせる利点がどれほどたくさん並べられたとしても、イエス様が幼児に洗礼を授けるようにとの命令をされていない以上、それは「昔の人の言い伝え」に過ぎないのです。大切なのは、聖書に記されているか否かであって、記されていないものはすべて「人間の教え」なのです。もちろん「人間の教え」にも良いものはあるはずです。でも、それを聖書と同列においてはならないことは、イエス様の時代も、現代も、未来も変わることはないのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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