デイリーディボーション 5月25日(水)

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デイリーディボーション 5月25日(水)

2022年5月25日(水)
マタイの福音書 26章17-22節 17さて、種なしパンの祝いの第一日に、弟子たちがイエスのところに来て言った。「過越の食事をなさるのに、私たちはどこで用意をしましょうか。」18イエスは言われた。「都に入って、これこれの人のところに行って、『先生が「わたしの時が近づいた。わたしの弟子たちといっしょに、あなたのところで過越を守ろう」と言っておられる』と言いなさい。」19そこで、弟子たちはイエスに言いつけられたとおりにして、過越の食事の用意をした。20さて、夕方になって、イエスは十二弟子といっしょに食卓に着かれた。21みなが食事をしているとき、イエスは言われた。「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたのうちひとりが、わたしを裏切ります。」22すると、弟子たちは非常に悲しんで、「主よ。まさか私のことではないでしょう」とかわるがわるイエスに言った。
【ポイント】 ①自分勝手な(間違った)期待は必ず裏切られる ライフチャーチでは繰り返し学んでいるポイントです。進学、就職、結婚などにおいて新しい学生生活、社会人生活、結婚生活に多くの夢を思い描く人が多いかと思います。しかし、夢や理想ばかりを膨らませすぎてしまうと、必ず現実との乖離が起きてきます。しかし、多くの人は、現実が自分の夢や理想と食い違っている理由が自分以外にあると考えてしまいます。そして、教師、上司、配偶者に問題があるために、自分の夢見た生活を得ることができていないと不満を覚え「こんなはずじゃなかったのに!」となってしまうのです。また、教会や牧師に対して同じような現象が起こることが少なくないのです。
昨日は、イスカリオテのユダに同じようなことが起きていたのではないかと言う、私の推察を分かち合わせていただきました。そして、先に述べたように、勝手な夢や理想を押し付けてしまうという行為は誰にでも起こり得るものであり、私たちも決して他人事ではないということを確認しました。
私たちがイエス様に対して、そして周囲の人たちにユダと同じ間違いを起こさないためにはどのようにしたらよいのでしょうか。一言で言えば「現実を見る」ということです。つまり、進学、就職、結婚、そして信仰の歩みには、必ず苦難や困難が伴うという現実を知ることです。エジプトを脱出したイスラエルの民も、奴隷からの解放、約束の地での祝福という夢を持っていました。神様は決してイスラエルの民を騙してエジプトを脱出させたわけではありません。神様の約束が反故にされることはないからです。また、エジプトからカナンの地に到着するまでに多くの困難が待ち構えていることは、誰でもが想像できたことです。 しかし、困難に直面したイスラエルの民は脱出直後から神様に対して不満をつぶやいてしまいます。ユダヤ人であれば誰でもが知っている出来事ですから、イエス様に従う際にも、祝福のプロセスの中では様々な困難が伴うという現実をイエス様の弟子たちは知っていたはずなのです。イエス様も、「24 だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。25いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしのためにいのちを失う者は、それを見いだすのです。」ということを繰り返し教えられていたわけです。しかし、弟子たちは「十字架を負う」という現実を受け入れたくなかったのでしょう。
イエス様を信じたら、すべての問題が解決することを期待している人はいないでしょうか。すべてとは言わなくても、信じていれば、少しずつ自分の理想や夢に近づくことができると思っている人はいないでしょうか。しかし、その「信じる」という中に、「自分の十字架を負う」という現実があることを忘れてはなりません。しかし、それは意味のない苦しみではありません。まさに、産みの苦しみのようなものです。この現実を受け入れる覚悟をすれば、私たちは様々な困難や苦難の現実を受け入れながら歩んで行くことができるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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