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2021年5月3日(月)
ヨハネの手紙第三 1:1-3 1長老から、愛するガイオへ。私はあなたをほんとうに愛しています。2愛する者よ。あなたが、たましいに幸いを得ているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように祈ります。3兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。
【ポイント】 ①ヨハネ(神様)の喜びを共有する 神様の愛を知り、神様の愛を受け入れ、神様を愛するようになった者は、つまり本当の意味での「信仰」に導かれた者は、以前とは全く違う「喜びの感覚」が与えられます。別の言い方をすれば、この「喜びの感覚」の変化が起きていないとしたら、私たちは自らの「信仰」が、聖書が教える「信仰」とは、別のものである可能性があるということにもなります。
この喜びの変化とは、神様が喜ばれることが自分の一番の喜びとなることです。この世の多くの人々は、自分の願いが実現するとき、自分の欲求が満たされるときに喜びを覚えます。しかし、この世の人々でさえ、例えば、配偶者が喜んでいる様子、自分の子どもが喜んでいる様子を見るときに、つまり、自分の愛する者が喜んでいる姿を見るときに、自分のことのように喜びを覚えるようになるものです。ですから、神様を愛する私たちは、神様が喜ばれているのを見るときに、自分のことのように喜びを覚えるはずなのです。
それでは、神様はどのようなときに喜ばれる方なのでしょうか。それは、極めて明白です。3節を見てみましょう。「3兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。」昨日の礼拝で学んだ通り、「真理に歩むこと」とは、「主の命令に従うこと」であり、「主の命令に従うこと」とは「互いに愛し合うこと」です。
主を愛する者は、この命令に全力で取り組みます。そして、主の命令に全力で取り組む者は、その結果がどうであれ、私たちの主の命令への忠実さ(愛)ゆえに、主が喜ばれていることに確信を持つことができます。主を愛する私たちにとっては、それが何よりもの喜びとなり、私たちは確信をもって主の御前に立つことができるようになるのです。
ヨハネの手紙第一 3:21-23 21愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、22また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。23神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。
ライフチャーチ 大谷信道