デイリーディボーション 5月30日(火)

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デイリーディボーション 5月30日(火)

2023年5月30日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 13章3-7節 3支配者を恐ろしいと思うのは、良い行ないをするときではなく、悪を行なうときです。権威を恐れたくないと思うなら、善を行ないなさい。そうすれば、支配者からほめられます。4それは、彼があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行なうなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行なう人には怒りをもって報います。5ですから、ただ怒りが恐ろしいからだけでなく、良心のためにも、従うべきです。6同じ理由で、あなたがたは、みつぎを納めるのです。彼らは、いつもその務めに励んでいる神のしもべなのです。7あなたがたは、だれにでも義務を果たしなさい。みつぎを納めなければならない人にはみつぎを納め、税を納めなければならない人には税を納め、恐れなければならない人を恐れ、敬わなければならない人を敬いなさい。
①イエス様から使命が与えられた者としてパウロの手紙を読む 13章から「権威」についての話が始まりました。言うまでものなく、パウロの思い描いている「権威」とはローマ帝国(皇帝)です。前の節でパウロは「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。」と語っていましたね。しかし、パウロはクリスチャンと国家権力のあり方について議論しているのではありません。パウロの頭の中にあるのは「福音の前進」なのです。パウロはイエス様から異邦人伝道という明確な使命が与えられていました。イエス様の大宣教命令をみても明らかですが、その使命はすべてのクリスチャンに与えられている使命でもあります。ですから、パウロが常に考えていることは、どのようにしたら自分が、そしてすべてのクリスチャンが福音宣教の働きを続けていくことができるのか、つまり、どのようにしたら、イエス様から与えられている使命を全うすることができるのかということなのです。
その視点からすると、クリスチャンが権威(ローマ帝国)との間に問題を起こしたり、危険分子として認識されることは、使命の全うの障がい以外の何ものでもなかったわけです。もちろん、皇帝崇拝を強要されるような場面があれば別ですが、クリスチャンたちが通常の生活を送っている場合は、信仰について妥協するような場面はほとんどなかったのではないかと推測できます。であれば、ローマ帝国内においては、善良な市民として生活し、例えば税金を納める必要があれば、きちんと収めるべきであると教えていたわけです。この点については、イエス様もマタイによる福音書22章で「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」と説明されています。
現代においても、クリスチャンの中には、自分の住んでいる国の為政者、政治体制がキリスト教的な価値観に反している場合も多くあります。民主主義の国では、クリスチャンは自分たちの価値観に近い人間を国会議員であったり、大統領・首相にしたいと考えたり、そのための運動を行うこともあります。しかし、イエス様のみことばをしっかりと受け止め、実践するのであれば、私たちクリスチャンは為政者から見ても善良だと思えるような、模範的な市民として生活することが求められているのです。
現代のクリスチャンは、ローマ帝国の支配、または迫害の中で生きていたクリスチャンの姿を想像する必要があるのではないでしょうか。その中にあって、国の為政者に対してではなく、すべての支配者である神様に希望を持ち続ける生き方に倣うことができるのではないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道


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