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2021年5月4日(火)
ヨハネの手紙第三 1:3-4 3兄弟たちがやって来ては、あなたが真理に歩んでいるその真実を証言してくれるので、私は非常に喜んでいます。4私の子どもたちが真理に歩んでいることを聞くことほど、私にとって大きな喜びはありません。
【ポイント】 ①ヨハネ(神様)の喜びを共有する その2 ヨハネの喜びは、神様の喜びでもあり、また私の喜びでもあります。反対に、真理に歩んでいないクリスチャンの方を見かけることは、大きな悲しみであり、心配でもあります。
「真理に歩んでいないクリスチャン」とはどのような人々なのでしょうか。間違った教え、異端を広めようとする人々でしょうか。もちろん、そのような人々が含まれることは言うまでもありません。しかし、これまでの学びをしっかりと思い出してください。「真理に歩む」とは、キリストの命令に従うことであり、その命令とは「互いに愛し合う」ことです。ヨハネの頭の中にある相互愛の実践の場は「教会」です。ですから、信仰告白やバプテスマなどを行ったとしても、しっかりと教会につながり、そこに集まる兄弟姉妹を愛することに熱心でない人は、主の命令に不忠実な者であり、主の命令の実践が真理を行うことであるとしたら、真理に歩んでいない人と言うことになります。
非常に残念なことですが、自分はクリスチャン(キリスト者)であると思っていても、主であるキリストに不充実な人が非常にたくさんいるのです。そのような人たちの中にはは教会につながっていなくても、教会以外の集会や活動に参加することがその代わりになると考えている人がいるようですが、聖書を読めば、イエス様も使徒たちもそのような考え方を教えていない事は明らかです。
男女関係にたとえてみましょう。この世においても、相手の責任を持たずに男女の関係を楽しんでいる状態は「遊び」と表現され、決して尊敬を受けることはありません。一方、互いに結婚の約束をした者同士は、結婚生活がいかに楽しそうに見えたとしても、決して「遊び」とは表現されません。なぜなら、相手の人生の責任を負うという約束をしているからです。主のくびきを負い、互いに愛し合う約束をし教会に繋がることなく、キリスト教関連の集まりばかりを大切にしている人がいたらどうでしょうか。一見すると悪いことをしているようには見えませんが、決してイエス様の命令に忠実であるとは言えないのです。しかし、主の相互愛の命令(真理)に不忠実であることは、自分の喜びが目的である「遊び」と似ていて、神様が喜ばれることのない、極めて恐ろしいことであることを理解する必要があります。
ヨハネの手紙第一 3:21-23 21愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、22また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行なっているからです。23神の命令とは、私たちが御子イエス・キリストの御名を信じ、キリストが命じられたとおりに、私たちが互いに愛し合うことです。
ライフチャーチ 大谷信道