デイリーディボーション 5月7日(金)

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デイリーディボーション 5月7日(金)

2021年5月7日(金)
ヨハネの手紙第三 1:11-12 11愛する者よ。悪を見ならわないで、善を見ならいなさい。善を行なう者は神から出た者であり、悪を行なう者は神を見たことのない者です。12デメテリオはみなの人からも、また真理そのものからも証言されています。私たちも証言します。私たちの証言が真実であることは、あなたも知っているところです。
【ポイント】 ①「善を行う」とは? 聖書には「善を行う」ことについても命令が数多く記されています。使徒パウロは2コリント5章10節でこのように教えています。「10なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。」善を行うことはキリストからの命令なので、「各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになる」ことは当然のことだと言えます。命令は忍耐を伴う「重荷・くびき」となるわけですから、その命令に忠実に従った者にキリストが良い報い(労い)を与えたいと思われるのは、ごく自然なことだからです。一方、キリストの命令に不忠実だった者は、キリストから良い報いを受けることを期待できません。これも極めて当然のことですね。
多くのクリスチャンは自分は大丈夫だと思っているかもしれませんが、本当に大丈夫でしょうか。イエス様が求められている「善」とは、偶像礼拝、姦淫、殺人、盗みなどの罪を犯さないことでだけではありません。これまでの学びから「善」とは、キリストの「互いに愛し合いなさい」という命令を実践することであることが明らかです。ですから、相互愛の関係を破壊することにつながるような、ちょっとしたうわさ話、陰口、さばき合い、さらに、それらを見て見ぬふりをしている事ですらも、キリストの命令への不忠実であることを知らなくてはなりません。つまり、キリストのからだである教会、さらに家庭において、キリストの愛の実が結ぶことに熱心に取り組んでいない者は、たとえ一般的に大罪と考えられているような罪を犯していなくても、キリストの目には不従順という極めて大きな罪として映るということなのです。
教会、家庭において「愛の実践のために苦労している」という自覚がない人は要注意です。無自覚のうちにキリストに不従順な歩みに陥っている可能性があるからです。
ライフチャーチ 大谷信道


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