デイリーディボーション 5月8日(水)

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デイリーディボーション 5月8日(水)

2019年5月8日(水)
マルコによる福音書 5:30-34 30イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか」と言われた。31そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか』とおっしゃるのですか。」32イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。33女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。34そこで、イエスは彼女にこう言われた。「娘よ。あなたの信仰があなたを直したのです。安心して帰りなさい。病気にかからず、すこやかでいなさい。」
【ポイント】 ①「病気にかからず、すこやかでいなさい。」とは? 34節の「病気にかからず、すこやかでいなさい。」という箇所は、新共同訳では「もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」と訳されています。どちらもイエス様の語られたことばの真意が表現されていない気がします。意訳をせず、原語を意味を大切にしているNASBという聖書では「be healed of your affliction・あなたの病からいやされた状態でいなさい」、ESVでも「be healed of your disease」と訳されています。これらの聖書は、この女性が「健やかでいること」「元気でいること」ではなく、「イエス様に癒やされたこと」を大切にしているのでしょう。文脈から考えても、そのように考えるのが適切であると思います。
さらに、彼女のいやしのプロセスを考えてみましょう。彼女のいやしについてイエス様は何と言っていたでしょうか。「あなたの信仰があなたを直したのです。」でしたね。つまり、いやされた状態を大切にするとは「イエス様への信仰を保つ」ことなのです。「病気にかからず、すこやかでいなさい。」という日本語は「お別れの挨拶」のようですが、イエス様の真意は「私と共に歩みなさい」という「招き」であると理解できるわけです。
また、ユダヤ人であり、ユダヤ人コミュニティーで生きていた彼女の苦しみは、出血という症状だけではなく、昨日学んだ通り「出血=汚れ=罪人」というレッテルを離れ、人々との交わり、神殿での神様との交わりからも隔離されていたことにあったのです。ですから、彼女のいやしは、人々の兄弟姉妹としての愛の交わりの回復であり、神様との関係の回復でもあったのです。イエス様を信じることによって、再び人々と神様との関係が与えられたのです。新改訳聖書では「安心して帰りなさい」とありますが、NASBでは「you well; go in peace・平安の中で歩みなさい」と訳されています。つまり、彼女に与えられているのは「安心」ではなく、神様と人々との愛の関係が回復されたことによる「平安」なのです。
つまり、イエス様が与えられたのは、この女性への「イエス様への信仰の招き」「神様との関係回復による平安」なのです。これがイエス様が与えたいと思われる「救い」でもあるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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