デイリーディボーション 6月1日(木)

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デイリーディボーション 6月1日(木)

2023年6月1日(木)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 13章11-14節 11あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行ないなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。12夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。13遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。14主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
①キリストの愛の実践によって証しを立てる 再び、使徒パウロが何を思いながらこの手紙を書いているのかを考えてみましょう。13章1節の「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。」ということばの真意は、ローマ教会のクリスチャンが善良な市民として生活し、善行によってローマ市民、そしてローマ帝国に対して証しを立てることでした。クリスチャンが善良な市民として生活することが、絶大な権力と武力を有するローマ帝国内で不必要な迫害を回避し、福音を前進させていくためには極めて重要だとパウロは考えていたのでしょう。
今日の個所は、クリスチャンになる前の長い期間、聖書や律法とは無関係に生きていた異邦人クリスチャンに対する、具体的な指示だと思います。今日の個所は、現代のクリスチャンにもそのまま適用できると思います。13節に「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活」とありますが、パウロが現代社会の夜の繁華街を見たり、実社会の様子を見たら、全く同じことを口にすることでしょう。パウロの時代の異邦人の生活も、現代の人間の生活も何ら変わることがなく、多くの人が「肉の欲のために心を用いて」いるのです。つまり、自分の欲求を満たすことが一番の幸せであるという価値観に支配された生活です。13節の「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活」は、人々が幸せを感じることを追求する生き方の描写であり、決して悪意を持って罪を犯している状態を指しているのではないのです。ローマ市民、そして現代の日本人の一般的な生活の様子を述べたにすぎないのです。つまり、パウロはクリスチャンになったローマ市民の人たちに、それまで当然であった肉の欲を満足させる生き方から離れ、キリストの愛の中に生きるときに味わうことができる、新しい満足、新しい喜び、新しい楽しさを体験するように勧めているわけです。
13章全体の文脈を捉えると、パウロは、キリストの愛の実践にこそ本当の喜びがあり、その生き方を見た人々がイエス様の福音に興味関心を抱くようになることが、伝道において極めて重要だと考えていたことが分かるのです。すべては、福音の前進のためなのです。
残念ながら、夫や妻につまずきを与えているクリスチャン、子どもたちにつまずきを与えているクリスチャン夫婦、隣人につまずきを与えているクリスチャンホーム、教会が少なくないのです。しかし、私たちがイエス様の命令に従い、単純に愛の実践を第一にしていけば、このような事態を避け、周りの人たちから尊敬や好意を持たれることになるのです。
その教会の姿は、使徒の働きの2章に記されているペンテコステ直後の教会の姿に見ることができるのです。それが、聖霊が与えられ、聖霊で満たされているクリスチャンの群れの姿であり、パウロがここで頭に思い描いているローマ教会の姿なのです。
使徒の働き 2章46-47節 46そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、47神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。
ライフチャーチ 大谷信道


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