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2020年6月11日(木)
テトスへの手紙 3:6-8 6神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。7それは、私たちがキリストの恵みによって義と認められ、永遠のいのちの望みによって、相続人となるためです。8これは信頼できることばですから、私は、あなたがこれらのことについて、確信をもって話すように願っています。それは、神を信じている人々が、良いわざに励むことを心がけるようになるためです。これらのことは良いことであって、人々に有益なことです。
【ポイント】 ①新しい生活様式を身に着ける その2 パウロは「神は、この聖霊を、私たちの救い主なるイエス・キリストによって、私たちに豊かに注いでくださったのです。」と教えています。つまり、イエス・キリストを信じる私たちにも、同じように聖霊が与えられているということなのです。しかも、神様は聖霊を「豊かに」注いでくださったというのです。
ここで、私たちは自分自身に「私は自分にキリストの聖霊が豊かに注がれていることを信じているだろうか」「私はキリストの聖霊が豊かに注がれている者として歩んでいるだろうか?」という疑問を投げかける必要があります。これは、「聖霊が与えられているという新しい生活の中に生きていますか?」という質問でもあります。
これらの質問は、別の単語を用いても表現できます。「私は自分にキリストの愛が豊かに注がれていることを信じているだろうか」「私はキリストに愛されている者として歩んでいるだろうか?」というものです。日曜日の礼拝の中でも学びましたが、「聖霊の注ぎ」と「神の愛の注ぎ」は分けて考えることができないものでなのです。
神様は、私たちとの愛の交わりを期待して、聖霊を与えられているのです。同時に、神様は、神様が私たちと共にいてくださることを明らかにするために聖霊を与えてくださっているのです。つまり、神様にとっても、私たちにとっても、最も重要なポイントは、私たちが神様との愛の交わりの中に生きることなのです。
神様が自分を愛しているという事実を信じない人の心の中は、いつまでも満たされることはありません。同様に、聖霊がすでに豊かに注がれているという事実を信じない人は、いつまでも聖霊の満たしを求め、満足すことはありません。「大丈夫だよ、私はあなたを愛し、いつもあなた一緒にいるよ。」という、神様の語りかけに耳を傾け、その霊的な事実を受け入れましょう。神様に愛されている感覚があろうがなかろうが、聖霊が豊かに注がれている感覚があろうがなかろうが、神様が私たちを愛し、私たちに聖霊を豊かに注いでくださっていることは、間違いのない真実なのです。
ライフチャーチ 大谷信道