デイリーディボーション 6月13日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 6月13日(火)

2023年6月13日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 14章11-13節 11次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」12こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。13ですから、私たちは、もはや互いにさばき合うことのないようにしましょう。いや、それ以上に、兄弟にとって妨げになるもの、つまずきになるものを置かないように決心しなさい。
①信仰の深さ、福音の理解の深さを誇ることは「本末転倒」 あるアメリカのバプテスト神学校の学生たちが授業の一環として、フランスに伝道旅行に行きました。ある日曜日、地元の教会の礼拝に参加し、礼拝後の交わりと歓迎の食事の時間になりました。教会のメンバーの人が飲み物を配りながら「白ですか、赤ですか?」と聞いてくるので、何のことかと思ったら、配られているのがワインであることが分かりました。その神学校ではアルコール飲料を口にすることを校則で禁じていました。神学生たちは、ワインを受け取らなかっただけでなく、その部屋を出てしまったということです。当然のことながら、礼拝後の楽しい交わり、愛餐とはならなかったわけです。
ここで起きた現象(問題)は、パウロがこの手紙の中で取り上げている食べ物の問題と非常に良く似ています。アメリカのバプテスト教会、神学校は禁酒法の批准前からアルコールの摂取の禁止を訴えてきました。その伝統は現在まで受け継がれているようです。バプテストに限らず、アルコールの摂取を罪と教える教会はアメリカのプロテスタント教会が少なくなく、そのような団体からの宣教師によって建てられた日本を含む、海外の多くの教会で禁酒が守られているようです。
イエス様がアルコール飲料(特にワイン)を禁じられている箇所は聖書にはありません。旧約聖書には祭司が会見の幕屋に入る際にぶどう酒も強い酒も飲むことを禁じられていましたし、パウロは酩酊(酒に酔うこと)に対する強い注意を与えています。しかし、ワインを口にすることと、酒に酔い、酩酊状態になることは別物なのです。つまり、ワインを口にすること自体は罪でも何でもないというのが、聖書の正しい理解なのです。
ところが、アメリカのプロテスタント教会の影響で、アルコールを口にすることが罪だと信じている人が、世界中に大勢いるわけです。これらの人たちは14章1節の「信仰の弱い人」なのです。パウロは、イエス様の教えを間違って理解している人々を裁いたり、正しい理解を押し付けたりしないように注意を与えているのです。それだけでなく、今日の個所では、それらの「信仰の弱い人」は、心につまずきを覚えるような状況も作り出すべきではないと教えているのです。
フランスでは、食事の一部としてワインを飲むことが当然であり、ランチにワインやビールを飲むこと(酔っぱらわない限り・自動車などの運転をしない限り)は全く問題ないという理解が定着しているようです。もし、フランス人教会の牧師やメンバーがアメリカ人のバプテスト教会で飲酒が忌み嫌われていることを知っていたとしたら(たぶん知っていたはず)、何らかの配慮をし、全員が交わりを楽しむことができる努力ができたはずですし、パウロはそのような配慮をローマ教会の異邦人クリスチャンに求めたのでしょう。
イエス様の律法を正しく理解している者にとっては、イエス様が命令ではなく、人間が勝手に作り出した戒めに縛られているクリスチャンが愚かしく見えるかもしれません。しかし、自分が成熟した信仰者であると思うのであれば、そうでない人たちの弱さを理解し、その弱さに合わせて「つまずきになるものを置かない」ことがその人に対する「愛」なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


side_worship side_info