デイリーディボーション 6月14日(月)

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デイリーディボーション 6月14日(月)

2021年6月14日(月)
マタイの福音書 5:13 13あなたがたは、地の塩です。もし塩が塩けをなくしたら、何によって塩けをつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられて、人々に踏みつけられるだけです。
【ポイント】 ①塩味(イエス様の味?)を保ち続ける イエス様は、キリストを信じる者はこの世に対する影響力を持っているという事実を語られています。反対に、影響力を与えることができていないのであれば、私たちの存在価値は無いに等しいということでもあります。
しかし、ここでは注意が必要です。私たちに存在価値がないと評価するのは「人々」であって、けっして神様ではないということです。つまり、クリスチャンがいかにキリスト教という宗教に熱心に取り組んでいたとしても、それが人々に良い影響を与えるものでなければ、当然のことながら人々は「イエス様の福音」も「信仰」も意味の無いものだと感じるということなのです。
それでは、人々のニーズを分析し、それに的確に応えることができるような工夫をすればよいのでしょうか。そのような勘違いをしてしまっているクリスチャンは少なくありません。確かに、そのような手法を用いれば、教会に集まる人の数は増えるかもしれません。しかし、そこで語られているメッセージがイエス様のみことばではなくなってしまったとしたら、私たちは「塩」ではなく、「砂糖」になってしまっているようなものです。人々は、砂糖も大好きですから、多くの人が砂糖に集まってくることでしょう。しかし、それはイエス様の福音とは別のものなので、人々からは捨てられたり、踏みつけたりされないでしょうが、最期の時に神様からの叱責を受けることになるかもしれません。
私たちに与えられている「福音の招き」とは「38自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、わたしにふさわしい者ではありません。39自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」(マタイ10:38)というものです。これは、人々が無条件で喜ぶようなメッセージではありません。しかし、私たちに与えられている課題は、このメッセージを正確に伝えつつ、このイエス様の招きに応答する決心をしたときに、どのような祝福が与えられるのかを分かりやすく伝えることなのです。
私たちは、食べ物に塩で味付けをするために、空中から塩を撒くようなことはしません。また、食事中の家庭に押し入って、皿に塩を振りかけることもしません。自分で作って、自分が家族や友人にふるまう料理に塩で味をつけるのです。つまり、私たちが影響力を発揮するのは、不特定多数の人々ではなく、日常生活の中にいる家族、友人なのです。「地の塩」と聞くと、地球全体、国全体、地域全体などの大きなエリアを想像してしまうかもしれません。もちろん、クリスチャンの数が増えるに従って、その影響は全地に及ぶことになるわけですし、それがイエス様のビジョンなのです。しかし、私たちの塩としての現実的な影響力が発揮されるのは家庭、職場、学校などの近く、小さなエリアなのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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