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2021年6月15日(火)
マタイの福音書 5:14-16 14あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。15また、あかりをつけて、それを枡の下に置く者はありません。燭台の上に置きます。そうすれば、家にいる人々全部を照らします。16このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
【ポイント】 ①世の光とされていることを知る 昨日の「地の塩」、本日の「世の光」に共通する点は、イエス・キリストを愛する者は、既に「地の塩」「世の光」とされているということです。しかし、イエス様は、地の塩、世の光とされている人々が、塩を振らなかったり、光を隠したりするという現象が起きる可能性があると言っているのです。
前後関係から見ると、この現象の主な原因は「迫害への恐れ」でしょう。しかし、迫害の無い現代の日本に住む私たちには別の原因があると思います。それは、私たちの「プライドの高さ」「完璧主義」です。多くのクリスチャンの方は「自分はまだ準備ができていない」と感じているようです。一見謙虚そうにも聞こえますが、決してそうではありません。準備ができている状態を非常に高いレベルに設定しているだけなのです。しかし、イエス様は今日の個所で、私たちがイエス様を愛する決心をした瞬間から、十分に地の塩、世の光として証しを立てていくことができると言っておられるのです。イエス様が「できるよ!」と言ってくださっているのに、私たちが「まだ不十分です!」というのはおかしな話ですね。
私たちはイエス様を愛する決心をした瞬間から、イエス様によって「証し人」として任命されています。イエス様の願いは「一人でも多くの人に福音を伝えること」です。私たちが、イエス様を愛するのであれば、イエス様の思いを実現する手伝いをしたいと思うのが自然なことですね。「永遠のいのちは欲しいけれど、イエス様の福音を伝えることは嫌です」という人はイエス様を愛していないのです。「キリストを愛するとは、キリストの証し主として生きること」「キリストを証ししないことは、キリストを愛していないこと」という当たり前の事実をしっかりと理解することから始めましょう。
自分が「地の塩」「世の光」として生きて行く覚悟があるかないかを確認することで、イエス様への愛の有無を確認することができると言っても良いかもしれませんね。あなたはどうですか?
ライフチャーチ 大谷信道