デイリーディボーション 6月16日(火)

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デイリーディボーション 6月16日(火)

2015年6月16(火)

【通読】
2テサロニケ 1:3
3兄弟たち。あなたがたのことについて、私たちはいつも神に感謝しなければなりません。そうするのが当然なのです。なぜならあなたがたの信仰が目に見えて成長し、あなたがたすべての間で、ひとりひとりに相互の愛が増し加わっているからです。

【ポイント】
①信仰の成長=相互の愛が増し加わること
皆さんは、信仰の成長についての聖書的な意味を理解していますか?聖書的、つまり本当の意味での信仰の成長を理解していなければ、成長の道筋、成長のために必要なことが理解できないでしょう。実際、私自身も、聖書をきちんと学ぶ前は、聖書的な信仰的な成長について全く理解していませんでした。どのように誤解していたかというと、霊的な賜物、それも周りの人が驚くような癒し、預言、異言などの賜物を獲得することが、信仰の成長の一つのゴールだと思っていました。そのためには、祈り、断食などが重要だと思っていました。同時に、聖書の知識、神学的な知識が増し加わることも、ゴールの一つだと考えていました。そのために、いつか神学校で学びたいと考えていました。

ところが、聖書をきちんと読んでいった時に、それらが信仰の成長の中心ではないことにすぐに気が付きました。反対に、自分の持っていた「信仰成長観」は、極めて自己主義的、個人主義的なものであることに気が付かされました。つまり、自分の心の中の、特別な存在になりたい、人よりも優れた賜物、知識を得たいという極めて人間的な欲望が自分を支配していることに気がついたのです。しかし、そのような意味での成長は聖書的な成長ではないのです。

パウロは今日の箇所で、信仰の成長の度合いが、相互愛の深さによって測ることができると教えています。日曜日の礼拝説教でも学びましたが、互いに愛し合うことを実践する場所は教会であり、キリストの愛をもって互いに愛し合う約束をした人の集まりが教会なのです。仏教、神道、民衆信仰、新興宗教などの影響を強く受けている私たち日本人は、信仰歩みが個人的なものであると誤解している人が大勢います。神社やお寺にお参りに行く時に、「そこにいる人々と愛し合い、仕え合い、赦し合いに行こう!」などと考えている人はほとんどいないのです。皆、ご利益を得ること、自分の願い、自分の祈りを聞いてもらうことで頭はいっぱいなのです。しかし、キリスト教は違うのです。キリストは私たちが互いに愛し合う生き方を実践していくために、私たちを招かれたのです。

ですから、例えば、日曜日の朝に考えるべきことは「今日はどれぐらい真剣に神様を愛し、神様に讃美を捧げることができるだろうか?」「今日は、どれぐらい兄弟姉妹との愛を深めることができるのだろうか?」ということなのです。これが、私たちがイエス様から具体的に与えられている成長のための課題なのです。テサロニケの教会は、この課題に忠実に取り組んでいたのです。

【今週のメッセージ】
コロサイ人への手紙 3:12-17
「神の家族形成に関わる」

私たちは、キリストの愛を受け取り、その愛を持って神を愛し、隣人を愛し続けるという生き方に招かれています。なぜなら、キリストを信じるとは、キリストを愛し、その戒めに従うことを意味しているからです。それでは、私たちはどこでこの戒めを実践していくのでしょうか。それは教会です。別の言い方をすれば、キリストを愛をもって互いに愛し合い、赦し合う約束をもって集まっている人々の群れが教会なのです。

①私たちは、キリストのからだの建て上げに召されている
エペソ4: 1-3
1 さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。2謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、3平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。

残念ながら、多くのクリスチャンが①のキリストからの招きを理解せず、自分の利益を求め信仰生活を続けているいるのです。そこで、②番目のポイントです。

②自分の利益のための信仰生活(夫婦・子育て)はうまく行かなくなることを知る
ヤコブ4:1-3
1何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。2あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。3願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。

そこで、私たちはキリストの招きについて知り、その具体的な姿を聖書から学ぶことが重要なのです。
パウロのことばから、私たち、キリストに召されている者が取り組むべき事柄を確認しましょう。

1.互いに忍び合いなさい(13節)
2.互いに赦し合いなさい(13節)
3.キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、
4.知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、
5.詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。(16節)

これらを実践する最高の形が、教会のスモールグループなのです。

③教会のスモールグループはキリストの召しの実践の最高の場
特に、4番を見てみましょう。互いに教えあうこと、互いに戒め合うことは、100人のグループでは不可能です。20人でも難しいかもしれません。つまり、パウロの思い描いている教会の姿は、決して大きなグループではないのです。大きな教会が良い教会であると勘違いしている人がいるようですが、もし、ここではっきりと記さている事柄実践できていないとしたら、決して良い教会とは言えないのです。反対に、せっかく少人数の教会であっても、互いに教え合い、戒め合う事に熱心でなければ、聖書に忠実な教会とは言えません。

私たちライフチャーチにあっては、キリストのみことばに忠実な教会を目指して行こうではありませんか。なぜなら、そこに大きな祝福、平安があるからです。

コロサイ3:15
キリストの平和が、あなたがたの心を支配するようにしなさい。そのためにこそあなたがたも召されて一体となったのです。また、感謝の心を持つ人になりなさい。

ライフチャーチ 牧師
大谷信道


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