デイリーディボーション 6月17日(土)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 6月17日(土)

2017年6月17日(土)

【通読】
マタイの福音書 8:28-34
28それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、だれもその道を通れないほどであった。29すると、見よ、彼らはわめいて言った。「神の子よ。いったい私たちに何をしようというのです。まだその時ではないのに、もう私たちを苦しめに来られたのですか。」30ところで、そこからずっと離れた所に、たくさんの豚の群れが飼ってあった。31それで、悪霊どもはイエスに願ってこう言った。「もし私たちを追い出そうとされるのでしたら、どうか豚の群れの中にやってください。」32イエスは彼らに「行け」と言われた。すると、彼らは出て行って豚に入った。すると、見よ、その群れ全体がどっとがけから湖へ駆け降りて行って、水におぼれて死んだ。33飼っていた者たちは逃げ出して町に行き、悪霊につかれた人たちのことなどを残らず知らせた。34すると、見よ、町中の者がイエスに会いに出て来た。そして、イエスに会うと、どうかこの地方を立ち去ってくださいと願った。

【ポイント】
①弟子たちを訓練されるイエス様
昨日の箇所で、イエス様と弟子たちは船に乗り込みました。その理由は、18節にこのようにあった通りです。「さて、イエスは群衆が自分の回りにいるのをご覧になると、向こう岸に行くための用意をお命じになった。」ですからガリラヤ湖の「向こう岸」(28節)に到着した時も、そこにいたのはイエス様と弟子たちだけでした。つまり、今日の箇所でイエス様が行われた不思議な業は、不特定多数の群衆にではなく、弟子たちに見せるために行われたのです。弟子たちの育成、訓練の一環であったということです。

そもそも8章の最初から、イエス様は弟子たちに、イエス様を信じることの意味(1-13)、イエス様に従う祝福(14-17)、イエス様に従う覚悟(18-22)と、イエス様を信じ、従うことの意味を教えてこられました。そして、昨日と今日の箇所では、イエス様はご自分の力、権威を示されました。弟子たち、そして私たちが、その場の雰囲気、一時の感情の高ぶり、ご利益の期待などからではなく、冷静に、理性をもってイエス様を愛し、人生を委ねるという決断を行なうことができるためです。

つまり、弟子訓練の第一歩(中心?)は、イエス様を知り、イエス様への愛、信頼を深めることなのです。愛と信頼が深まると、イエス様に従うことを人生の最優先事項としたいと思うようになるのです。18-22節に出てきた律法学者、父親を葬りたいと行った弟子たちがいたところで止まってしまっている人はいないでしょうか。イエス様の弟子としての祝福、喜びはその先にあるのです。思い切ってイエス様の船に乗り込むのです!

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info