デイリーディボーション 6月18日(木)

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デイリーディボーション 6月18日(木)

2020年6月18日(木)
へブル人への手紙 1:4 4御子は、御使いたちよりもさらにすぐれた御名を相続されたように、それだけ御使いよりもまさるものとなられました。
【ポイント】 ①なぜ、マリア崇拝、天使崇拝、聖人崇拝が起きるのか? キリスト教の歴史を振り返ると、一般信徒がマリア、天使、殉教者(聖人)などを「崇拝」しているようにしか思えない現象が起きていることが分かります。例えばカトリックの教職者、神学者などは、それらの行為は神への「崇拝」や「礼拝」とは別物であると説明しているのだと思いますが、それら神でないものへの偶像礼拝に陥ってしまっている一般信徒が大変多くいる事実は否定できないと思います。
私は、この忌々しき事態は、クリスチャンのイエス・キリストとの愛の交わりの不十分さに原因があると考えます。イエス様はルカの福音書10章で「41主は答えて言われた。「マルタ、マルタ。あなたは、いろいろなことを心配して、気を使っています。42しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」と教えられています。つまり、私たちにとっても本当に必要なことは一つだけなのです。それはイエス・キリストの交わり(愛の関係)なのです。もし、私たちがイエス・キリストとの愛の交わりに満足していれば、マリア、天使、聖人などに心を向けたくなるはずはないのです。
ですから、どのようにまことしやかな神学的な説明がなされたとしても、イエス様のことばの通り「本当に必要なことは一つだけ」、つまりイエス・キリストとの愛の交わりなのです。そして、このイエス様のことばは、すべての時代のクリスチャンに対して「不必要なことはやめていいのですよ」というメッセージでもあるのです。
過去、現代のクリスチャンが、いかに不必要なことを信仰の歩み(教会の歩み)の中に取り入れ、頑な(または無関心)に、それらを続けているのかを考えてみましょう。そして、続けて、私たちの心は、イエス様との愛の関係のみによって満たされ、平安が与えられることを覚えましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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