デイリーディボーション 6月18日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 6月18日(火)

2019年6月18日(火)
マルコによる福音書 9:42-47 42また、わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです。43もし、あなたの手があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片手でいのちに入るほうが、両手そろっていてゲヘナの消えぬ火の中に落ち込むよりは、あなたにとってよいことです。44{そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。}45もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちに入るほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。46{そこでは、彼らを食ううじは、尽きることがなく、火は消えることがありません。}47もし、あなたの目があなたのつまずきを引き起こすのなら、それをえぐり出しなさい。片目で神の国に入るほうが、両目そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。
【ポイント】 ①「つまずき」を与えないために ここでの「つまずき」とは、イエス様に従っていく歩みを邪魔したり、イエス様を信頼することをやめさせるような行為であると思われます。
現代においては、クリスチャンでない人、教会に属していない人が、イエス様を信じる人を誘惑したり、積極的に信仰から引き離そうとするケースはそれほど多くないと感じています。むしろ、教会の兄弟姉妹がつまずきの原因を作っているケースのほうがずっと多いのではないでしょうか。
残念ながら、クリスチャンの中には、教会は自分の憩い、癒し、満足を求める場所だと勘違いしている人がいます。そのような人の基本的なスタンスは「この教会は自分ために何をしてくれるの?」という利己主義的なものになってしまいます。このような人は自分の欲求が満たされないときに、つまずきを覚えやすいですし、自分の欲求不満を周囲にぶつける中で、主にある兄弟姉妹を傷つけたり、未信者の方をつまずかせたりしてしまうのです。
このような人は、先に学んだ通り、自分は自分以外の一人ひとりに「仕える」ためにイエス様から招かれていること、そのような人々の集まりが本来の「教会」の姿であることを知る必要があります。そして、人に仕えることを実践することこそ、本当の満足、喜びを得られる生き方であることを学ぶ必要があるのです。日曜日の礼拝に出席するときも、自分は神に仕え、そこにいる自分以外のすべての人に仕える目的で神様に招かれていることを思い出すのです。
イエス様が自分に与えてくださっている人生の目的は「主に仕え、主にある兄弟姉妹に仕えること」であることを知りましょう。私たちクリスチャンは、自分の欲望を満たすという罪の生活の悪い習慣を捨て去り、主のために生きる人生を意識的に選び取っていくことが求められているのです。この生き方は、大変建設的で、前向きなものとなるはずです。自分の行動や言葉が建設的であるのか、前向きであるのか、それとも批判的であったり、ネガティブなものになってしまっていないか、常に自分の言動を監視する責任が与えられていることを覚えておきましょう。この一点に気を付けていれば、人をつまずかせたり、自分じしんをつまずかせることを劇的に減らすことができるはずです。
1ペテロ4章 「9つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。10それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」
ライフチャーチ 大谷信道


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