デイリーディボーション 6月2日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 6月2日(火)

2020年6月2日(火)
テトスへの手紙 2:3-5 3同じように、年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。4そうすれば、彼女たちは、若い婦人たちに向かって、夫を愛し、子どもを愛し、5慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順であるようにと、さとすことができるのです。それは、神のことばがそしられるようなことのないためです。
【ポイント】 ①キリストにある老化のビジョンを持つ 3節の「年をとった婦人たちには、神に仕えている者らしく敬虔にふるまい、悪口を言わず、大酒のとりこにならず、良いことを教える者であるように。」という箇所から、パウロが、年をとった婦人の中にこのような問題に陥ってしまう人がいるという認識を持っていたことが分かります。しかし、パウロは人がイエス・キリストの愛を受け、キリストを愛する者として歩んで行けば、誰かから強いられてではなく、自らの意思(信仰)によって「夫を愛し、子どもを愛し、5慎み深く、貞潔で、家事に励み、優しく、自分の夫に従順である」生き方を選び取ることができるという確信を持っていたのです。ですから、昨日も学んだように、私たちは、年齢を重ねるごとに、私たちの信仰が試されていくことを知るべきなのです。
日本の多くの教会には「婦人会」というグループが存在しますが、婦人会では日本の古くからの嫁と姑の関係(悪い意味での)のような上下関係が持ち込まれている例を数多く見てきました。熱心さと年長者としての責任感から出たもの、悪意は全くないものなのでしょうが、残念ながらこれは「神の国の価値観」ではなく「この世の価値観」を教会の中に持ち込んだ悪い例と言わざるを得ません。このような環境につまずきを覚える若い女性は少なくないです。さらに厄介なのは、そのような環境で育った女性が年長者になると、自分を苦しめた人と同じ振る舞いをし始めてしまうケースが少なくないことです。学校の部活動、会社の上下関係でもよくある現象ですね。「自分もやられたから、やり返さないと損だ!」という感覚です。
私たちクリスチャンは、無意味な年功序列というこの世の価値観を脱却し、キリストの愛をベースにした新しい価値観の中で生きることが求められています。年長者が若い人を教えるのは、年が上であるからではなく、主の御心にかなう歩みをしているからなのです。しかも、その教え方は、上から目線で教えるのではなく、その人に仕えるように教えるのです。なぜなら、イエス様がそのようにされたからです(ヨハネ13章)。
ライフチャーチ 大谷 信道


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