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2023年6月21日(水)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 14章17-20節 17なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。18このようにキリストに仕える人は、神に喜ばれ、また人々にも認められるのです。19そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。20食べ物のことで神のみわざを破壊してはいけません。すべての物はきよいのです。しかし、それを食べて人につまずきを与えるような人の場合は、悪いのです。
①神と人に喜ばれる生き方 17節の「神の国は飲み食いのことではなく」ということばは、現代のクリスチャンにとっても非常に重要な一言です。ここでは「飲み食いのこと」とは、「クリスチャンはこれを食べ、これを食べるべきではない」というような、食物の規定についての議論を指しています。前に学びましたが、イエス様はすべての食物がきよいとされたわけですが、特にユダヤ教徒からクリスチャンになった人の中には、この真理を受け入れることに難しさを感じていた人がいたわけです。そこで、異邦人クリスチャンとユダヤ人クリスチャンの間に一種の緊張が生じてしまったのでしょう。
言うまでもなく「すべての食物がきよい」ことは、イエス様が明らかにされた真理なわけですが、パウロはその真理を受け入れることができない「弱い人」をキリストの愛をもって配慮することを教会全体に呼びかけているのです。そして、このような配慮は、いつの時代の教会にも求められているのです。
例えば、主の晩餐で考えてみましょう。イエス様の最後の晩餐、その後の主の晩餐で「赤ワイン」が用いられていたことは明らかです。だからと言って、主の晩餐で赤ワインを使用することを絶対とする必要はありません。現代の教会の中には、飲酒が罪であると思い込んでいる(教えられてきた)方がいたり、アルコール依存症の治療中の方、アルコールが体質に合わない方などがいらっしゃる可能性もあるからです。主の晩餐を聖書の記述通りに赤ワインで行うのか、ぶどうジュースで行うべきなのかを議論しても、今日の個所でパウロが教えている「平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこと」を行うことにならないのです。「聖書の中で赤ワインが用いられていたことは明白ですが、赤ワインを口にするのが難しい方がいるのであれば、ぶどうジュースにしましょう。アレルギー、または血糖値など、体質的にぶどうジュースを口にできない人、またはその味が嫌いな人がいれば、別のもので主の晩餐を行いましょう!」で良いわけです。パンの種類についても全く同じことが言えます。
私たちの信仰の歩みにおいて重要なことは、真理をルールとして守ることではないのです。天のお父さんが私たち(教会)に求めている姿は、不完全な私たちが、互いの弱さを知った上で、互いに愛し合い、赦し合い、受け入れ合うことなのです。教会が本当に熱心に取り組むべきことは、この1点であり、天のお父さんが喜ばれるのは、私たちが仲良く、助け合いながら、時には我慢し合いながら、健全な神の家族を形成していくことなのです。
ライフチャーチ 大谷信道