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2020年6月22日(月)
へブル人への手紙 1:142:1 1:14御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々に仕えるため遣わされたのではありませんか。2:1ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。
【ポイント】 ①聖書を学び、聖書を教える 2章1節の「ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」という命令は、文脈から考えると「御使いは崇拝の対象でも、キリストよりも優れた者でもない」という事実を「しっかり心に留め」なさいという命令であることが分かります。同時に、この命令から、いかに多くの人が「天使崇拝」という間違った教えに「押し流され」てしまっているのかという事実も物語っているのです。
繰り返し学んでいますが、1世紀の教会から現代に至るまで、「1ですから、私たちは聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」という聖書の教えが無視され続けてきたのかを知ることが重要です。ネットなどで調べてみれば、多くの教団、教会で、聖書に記されていない「天使」についての説明が平気でなされているのかを知ることができると思います。
これが、聖書が自分たちの言語に翻訳されていない宗教改革前の世界であれば、仕方のないことかもしれません。しかし、自分のことばで聖書を読める時代・地域に生きているクリスチャンは、神様の前で「知りませんでした」「聖書を読めませんでした」という言い訳は通用しないことを知らなくてはなりません。
ヤコブの手紙3章1節には「1私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。」と記されています。しかし、自分で聖書が読める今の時代にあっては、親が子どもに聖書に書かれていることを教えることができます。家庭においては親も教師のような存在となるのです。誰でも友達に聖書について語る機会があることでしょう。教会で教師をしていなくても、教える側の立場に立つクリスチャンはたくさんいるのです。ですから、私たちは「(聖書から)聞いたことを、ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません。」し、聖書に書かれていないことを、人々の伝えるようなことはしてはならないのです。
ライフチャーチ 大谷信道