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2021年6月22日(火)
マタイの福音書 5:25-26 27『姦淫してはならない』と言われたのを、あなたがたは聞いています。28しかし、わたしはあなたがたに言います。だれでも情欲をいだいて女を見る者は、すでに心の中で姦淫を犯したのです。
【ポイント】 ①罪人であるという自覚を持つことの大切さを知る 今日のイエス様のことばから分かる、極めて重大な事実は、ほぼすべての人が姦淫の罪を犯しているということです。ある意味、このみことばは、すべての人を丸裸にするようなものです。つまり、どのような偉大な牧師であろうが、司祭であろうが、他の宗教の指導者であろうが、その心の中では罪を犯しているということなのです。同時に分かることは、多くの牧師、司祭、宗教家、思想家、教育者、為政者は、あたかも自分はそのような罪を犯していないかのような「ふり」をしているということです。それは、神様の前では「偽善者」であり「嘘つき」なのです。
また、そのような人々の「偽善」「嘘」に騙されてしまっている人々が大勢います。牧師、司祭、宗教家、思想家、教育者、為政者が、罪を犯さない聖人であってほしいと勝手な期待(妄想)を膨らましたり、自分の理想像を当てはめて、彼らが完全な人間であると思い込んでいるのです。しかし、そのようなものの見方は明らかに間違いであり、イエス様の教えに反するものなのです。つまり、私たち人間は全員等しく罪人であり、神様の恵みとあわれみがなければ、罪の中に滅びゆくものであるということです。
ライフチャーチで繰り返し学んでいるポイントですが、現代のキリスト教界全体を見るときに気づく一つに大きな問題は保守的なクリスチャンもリベラルなクリスチャンも、伝統的な教会も、カリスマティック・ペンテコステ系の教会も、そこに集まるクリスチャンの多くが、「あなたは罪人です」と、事実を指摘されることを嫌がるということです。
あなたはどうですか?「あなたは罪人ですね。」と誰かに指摘されたときに不快感を覚えたとしたら要注意です。恐らく、パウロであれば、「はい、そうなんです!」と、何のためらいもなく答えることでしょう。(1テモテ1:15)あなたは、罪を隠すような宗教的(信仰的)偽善が当たり前になっていることはないでしょうか。クリスチャンになったら、今日のイエス様の指摘されている「罪」を犯さない者へと瞬時に変わることができるでしょうか。そのようなことは、ないのです。私たちは、この肉体を持っている限り、様々な罪を犯し続けるのです。自分の努力で罪を克服できたとしたら、私たちに救い主は必要なくなってしまうのです。
どのように格好悪く見えても、どのように恥ずかしく感じたとしても、私たちは自分の罪の性質を隠したり、罪を犯していないふりをする必要はないのです。なぜなら、姦淫の罪に限らず、私たちが罪人であることは、イエス様のみことばによって明らかにされているからです。
ライフチャーチ 大谷信道