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2020年6月23日(火)
へブル人への手紙 2:3-4 3私たちがこんなにすばらしい救いをないがしろにした場合、どうしてのがれることができましょう。この救いは最初主によって語られ、それを聞いた人たちが、確かなものとしてこれを私たちに示し、4そのうえ神も、しるしと不思議とさまざまの力あるわざにより、また、みこころに従って聖霊が分け与えてくださる賜物によってあかしされました。
【ポイント】 ①キリストの福音以上の福音はない! 私たちクリスチャンは「キリストの福音以上の福音はない!」という確信の上に生きているでしょうか。私たちの心の不安や不満を解消する方法は、キリストの福音、つまり「神様との愛の関係」以外に絶対にないという事実を、本当に理解しているでしょうか。その素晴らしさを100%頭で理解し、心で受け入れ、からだで味わっているでしょうか。
大切なことなので何度でも繰り返しますが、この世の人々も、多くのクリスチャンも、「神様の方法(福音)」ではなく「自分の方法」で自分の心を満たすことに必死になっています。クリスチャンの祈りが、神社仏閣に掲げられている「絵馬」や、七夕の「短冊」に書かれている「お願い事」と何ら変わらなくなっていることはないでしょうか? 結局のところ自分の欲求を満たすための手段として神様を利用していることにはなっていないでしょうか?
キリストの福音で満足できない人には、どのような方法も残されていません。キリストの福音を知りながら、天使、マリア、聖人、祖先などに助けを求めたり、特別な取り扱いを求めたりするクリスチャンは、その間違いについて天の父から厳しい咎めを受けることにはならないでしょうか?しかし、本当に私たちが避けるべきなのは、厳しい罰ではなく、天の父を悲しませることでしょう。愛情を注いで食事を作っているのに、子どもは「野菜は嫌い」などと言いながら、それをほとんど残し、よその家でお菓子ばかり食べているとしたらどうでしょうか。腹立たしい思いもあるでしょうが、その根底には悲しみを感じないでしょうか。夫婦関係に置き換えれば、不倫の構造がこれと極めて似たものと言えるでしょう。
出エジプト記20章を見てみましょう。 「4あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。5それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、6わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」
マタイ10章37節「37わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。」を見れば、上の神様の姿勢は、イエス様が遣わされた後も変わっていないことが分かります。神様は私たちとの愛の関係において、その間に何かを入れること(三角関係)は絶対に許されない方なのです。そして、そのような排他的な関係を「愛」と呼んでいるのです。
私たちと神様の関係に水を差したり、誘惑の原因になるようなものは、自分の為にも、私たちの子ども、孫のためにも、徹底的に排除しなければならないのです。
ライフチャーチ 大谷 信道