デイリーディボーション 6月23日(金)

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デイリーディボーション 6月23日(金)

2023年6月23日(金)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 14章21-23節 21肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。22あなたの持っている信仰は、神の御前でそれを自分の信仰として保ちなさい。自分が、良いと認めていることによって、さばかれない人は幸福です。23しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
①「つまずかせない」「つまずかない」=互いに愛し合うこと 「1 あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。」ということばから14章が始まったわけですが、そこにある具体的な問題は、ユダヤ人クリスチャンが市場で肉を買うとき、または教会の愛餐で異邦人クリスチャンが料理した肉料理を、その肉が偶像に捧げられたものである可能性があると心配して食べようとしないという現象が起き、「すべての食べ物はきよい」というイエス様のことばを正しく理解していた異邦人クリスチャンが、ユダヤ人クリスチャンのみことばの無理解を批判したり、さばいてしまったことだと思われます。
コリントの教会でも同じ問題が起きていたのですが、コリント人への手紙第一の8-10章を読むと、さらに問題の実態を知ることができます。1コリントの8章1節は「1次に、偶像にささげた肉についてですが、」と始まります。パウロは、偶像に捧げらえた肉を食べたとしても、その肉は単なる肉であって、それを食べることによって体が汚れたり、罪を犯すことにはならないという正しい知識を確認した上で、10節で「10知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、それによって力を得て、その人の良心は弱いのに、偶像の神にささげた肉を食べるようなことにならないでしょうか。」と知識のあるクリスチャンたちに警告を与えています。つまり、偶像に捧げられた肉を口にすることは罪を犯すことであると信じてしまっている人は、もしその肉を食べてしまうと「自分は神様に対して罪を犯してしまった(悪いことを知りながら、それをしてしまった)」という罪責感に苛まれることになるわけです。たとえ、食べ物についてのイエス様の命令を正しく理解していたとしても、その知識を振りかざすことによって、イエス様のみことばを理解できていない弱い人に罪を犯させるようなことになるのです。
パウロは、この問題について二つの具体的な解決策を述べています。一つ目は21節の「21肉を食べず、ぶどう酒を飲まず、そのほか兄弟のつまずきになることをしないのは良いことなのです。」というものです、1コリント8章13節でも「「ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。」と語っています。つまり、正しい知識によって信仰の弱い人をつまずかせたり、さばいたりしてはならないという命令です。
しかし、一つ目の対策だけでは、イエス様のみことばが正しく実践されない結果になる可能性があります。つまり、食物についてはユダヤ教の律法を守ることがクリスチャンとしての正しい食生活であるという間違った知識が浸透してしまうかもしれません。それは、異邦人クリスチャンに割礼を強要するのと似たようなことになり、イエス様の福音の根幹を揺るがす事態にもなりうるわけです。ですから、パウロは1コリント10章25節では「25市場に売っている肉は、良心の問題として調べ上げることはしないで、どれでも食べなさい。」とも命令しているわけです。つまり、目の前にある肉が偶像に捧げられたものかどうか心配するのを止め、食べ物によってつまずくことを止めなさいとも教えているわけです。
ただ、最後にこの問題についてのパウロの大局的な視点を確認しておきましょう。1コリント10章31節に、食物に関する知識のまとめとしてパロは「31こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」と教えています。つまり、肉を食べるにせよ、食べないにせよ、その選択や決意が「神の栄光を現わす」ことになれば良いということです。つまり、その判断によって教会の中に愛の実が結ぶことになれば良いということなのです。また、8章8節では「しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。」と語り、イエス様のみことばを正しく理解していれば、究極的にはどちらでも良い重大な問題ではないとしているわけです。つまり、互いに、肉のことについて過敏に反応したり、神経質になっていること自体が、神様の御心ではないということなのです。肉を食べている人が偉いわけでも、食べることに難しさを感じている人が劣っているわけでもないのです。
本当にクリスチャンにとって、そしてその群れである教会にとって大切なことを、イエス様はヨハネの福音書13章34-35節で明確に命令されています。
ヨハネの福音書13章34-35節 34あなたがたに新しい戒めを与えましょう。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです。」
ライフチャーチ 大谷信道


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