デイリーディボーション 6月24日(木)

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デイリーディボーション 6月24日(木)

2021年6月24日(木)
マタイの福音書 5:31-32 31また『だれでも、妻を離別する者は、妻に離婚状を与えよ』と言われています。32しかし、わたしはあなたがたに言います。だれであっても、不貞以外の理由で妻を離別する者は、妻に姦淫を犯させるのです。また、だれでも、離別された女と結婚すれば、姦淫を犯すのです。
【ポイント】 ①当時の結婚観を理解する ここで重要なことは、2000年の月日や文化の隔たりを考慮せずに現代の「結婚」のあり方に当てはめないことです。まず、当時の結婚の考え方、夫と妻の平等性などを知ることが大切です。イエス様は当時の社会における結婚の現実に存在する問題から、当時の人々に教えている限定的な教えと、そこから導き出すことができる普遍的な結婚のあり方を考えることが大切なのです。
まず、当時の社会における結婚の問題です。それが聖書的であるか否かの議論は横に置いて、そこにある現実は「男性優位社会」です。日本で議論されている夫婦別姓の因習にも共通することなのですが、極端な言い方をすれば、妻は夫(家)の所有物であるという感覚が当たり前になっている状況です。当時のユダヤ人社会の中では、自分の妻が気に入らないと思った時に、夫は自由に妻を家から追い出すことができると教えていたユダヤ教指導者もいたようです。当時の女性のほとんど経済力を持っていませんでしたから、夫から追い出された妻は路頭に迷うことになるわけです。
ですから、当時の人々に対する限定的な状況、つまり自分の気に入らなければ、現代人が商品を返品するような感覚で妻を離別できるとするユダヤ人社会の風潮に対して、イエス様は、「自分勝手な理由で離婚してはならない」という教えるために、「不貞以外の理由は罪である」と言われたのです。決して、律法に抵触せずに離婚ができる方法を指南しているわけではないのです。
ここで、私たちが知るべきは、聖書の神様を信じ、信仰熱心・宗教熱心なユダヤ人の社会の中で、いとも簡単に妻を離縁する夫がいたということです。創世記2章24節に記されている「24それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。」という神様の命令を軽んじ、自分勝手な理由による離婚がまかり通っていたという、ユダヤ人社会の信仰的な矛盾、宗教的な偽善について知ることが重要なのです。
前後の文脈からすると、パリサイ人を含む、信仰熱心を自負するユダヤ人たちが、いかに神様の御心を軽んじ、自分たちの罪深さに気づいていなかったのかということを気付かせたいというイエス様の意図をしっかりと汲み取ることが重要なのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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