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2021年6月26日(土)
マタイの福音書 5:38-42 38『目には目で、歯には歯で』と言われたのを、あなたがたは聞いています。39しかし、わたしはあなたがたに言います。悪い者に手向かってはいけません。あなたの右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさい。40あなたを告訴して下着を取ろうとする者には、上着もやりなさい。41あなたに一ミリオン行けと強いるような者とは、いっしょに二ミリオン行きなさい。42求める者には与え、借りようとする者は断わらないようにしなさい。
【ポイント】 ①神様の「義」を基準を知る 今日のイエス様のことばを聞いたユダヤ人のほとんどは「そんなことは無理だ!」「馬鹿げている!」「そんなこと律法に書いてないだろ!」などと感じたことでしょう。そうなのです。イエス様は律法を廃止されたのではなく、神様の前での正しさ、つまり「義」について、神様の御心をそのまま伝えられたのです。ユダヤ人の中には「私は律法を守ていますから大丈夫です」というような態度の人々が少なからずいたのでしょう。しかし、イエス様は、このような生き方こそが神様の義を全うすることになるのであって、当時のパリサイ人や律法学者の教えを守ることが神様の義を実現することではないことを教えられたのです。
②イエス様の戒めの目的を知る そして、イエス様のことばを素直に聞いたユダヤ人のほとんどは、正直に自分の罪深さを見ることになるのです。また、自分の罪深さに気づき、自分に絶望する人は、「それでは、私はどのようにしたらようのですか?」と素直に神様に助けを求めることになるはずなのです。これこそが、イエス様が意図していたことではないかと思うのです。つまり、イエス様が教えられている戒めは、それを守ることが目的なのではなく、人々が自分の罪に気づき、神様に救いを求めることあるということです。
それでは、これらの戒めを実践しなくても、頭の中だけで実践している自分を想像し、自分の罪深さに気づけばよいのでしょうか。中には、イエス様のことばを聞いただけで、自分の罪深さに打ちのめされ、悔い改めと救いを求める人もいたことでしょう。しかし、人間の現実(性)を考えると、多くの人はみことばを実践してみないと、神様の義の基準がどれほど高いものであり、自分の行いがどれほどいい加減なものであるのかに気づくことは難しいのでしょう。
私たちも、自分の罪深さを知る目的で、イエス様のことばを実践してみることが大切なのです。また、イエス様を信じた後に、少しずつ、イエス様の示された生き様に近づくことができていることを、みことばから確認することもできるでしょう。
ライフチャーチ 大谷信道