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2021年6月26日(土)
マタイの福音書 5:43-45 43『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのを、あなたがたは聞いています。44しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。matt 5:45それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。天の父は、悪い人にも良い人にも太陽を上らせ、正しい人にも正しくない人にも雨を降らせてくださるからです。
【ポイント】 ①私たちは葛藤しなければならない みなさんは、アメリカやフランスの国歌の歌詞をちゃんと確認したことがあるでしょうか。アメリカ国歌の1番の本語訳は次の通りです。
1. おお、見えるだろうか、 夜明けの薄明かりの中 我々は誇り高く声高に叫ぶ 危難の中、城壁の上に 雄々しく翻(ひるがえ)る 太き縞に輝く星々を我々は目にした
砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中 我等の旗は夜通し翻っていた ああ、星条旗はまだたなびいているか? 自由の地 勇者の故郷の上に!
フランス国歌の1番はこうです。
いざ祖国の子らよ! 栄光の日は来たれり 暴君の血染めの旗が翻る 戦場に響き渡る獰猛な兵等の怒号 我等が妻子らの命を奪わんと迫り来たれり
武器を取るのだ、我が市民よ! 隊列を整えよ! 進め!進め! 敵の不浄なる血で耕地を染めあげよ!
聖書が教える「平安・平和」とは、戦争がない状態を意味しているわけではありません。しかし、私たちクリスチャンが、今日のイエス様のことばを命令として受け、この命令に従って平和を作りだしたとしたら、そこに戦争は起こらないはずなのです。。近代民主主義国家の成立において、国民が主権と自由を手に入れるためには戦争(殺し合い)は必要であり、その手段である戦争(殺戮)は正当化されるという考え方は常識のようになっています。
しかし、その常識を私たちクリスチャンが当然のこととして受け入れてしまって良いのでしょうか。残念ながら、この問題について全く疑問を感じず、葛藤も覚えず、このような国歌を歌うことができてしまうクリスチャンが世界中に存在するようです。もちろん、旧約聖書でイスラエルの民が神様の命令として敵を滅ぼすという場面を見ることができます。しかし、それらの戦いは、あくまでもアブラハム(イスラエルの民)への祝福の約束が成就されるための戦いであったことは明らかです。決して、国家としてイスラエルが世界の覇者となるための戦争ではありません。そして、アブラハムとの約束は、最終的にイエス・キリストにおいて成就し完成しました。様々な解釈があると思いますが、私は、もはや神様の計画の実現のために戦争は必要ないと確信しています。必要だとすれば、それは人間の欲望に原因があると思っています。
イエス様と直接お会いした時に、敵とみなした人を殺すこと(戦争)を合法化、正当化していることについて尋ねられたとしたら、あなたは何と答えるでしょうか。イエス様はその答えに「良くやった!あなたは私の忠実なしもべです。」と声をかけてくれるでしょうか。その答えは、イエス様のみことばを素直に読めば明らかなのです。
ライフチャーチ 大谷 信道