デイリーディボーション 6月29日(土)

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デイリーディボーション 6月29日(土)

2019年6月29日(土)
マルコによる福音書 11:1-6 1さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、2言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。3もし、『なぜそんなことをするのか』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます』と言いなさい。」4そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。5すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」 6弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。
【ポイント】 ①人々の勝手なイメージとの闘い 牧師として聖書の解き明かしの働きをする中で常に感じている闘いの一つは、聖書のことばに対する「人の勝手なイメージ」との闘いです。これまで何度となく触れていることですが、おそらく聖書中の語句の中で最も正しく理解されていないことばの一つは「信仰・信じる」であると感じています。その問題の原因は、「信仰・信じる」ということばの聖書的な定義を明確にせず、自分のイメージを優先させて理解していることでしょう。
イエス様の時代のユダヤ人が最も勘違いしていたことばは「メシア」「救い」であると思います。人々の「メシア」のイメージと、実際のメシアであるイエス様の姿には大きな隔たりがありました。一般的な人々の「メシア」のイメージは軍事的なリーダー(王)でしたし、「救い」のイメージとはローマ帝国の圧政からの救いだったのです。ですから、弟子たちが「イエスはメシア」「イエスは救い主」だと人々に熱心に伝えたとしても、人々は全く別の何かを思い浮かべてしまったわけです。
ここにイエス様はろばに乗ってエルサレムに入っていった理由を見ることができます。確かに、ゼカリヤ書9章にはメシアがろばに乗ってやってく来ることが預言されています。「9シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。10わたしは戦車をエフライムから、軍馬をエルサレムから絶やす。戦いの弓も断たれる。この方は諸国の民に平和を告げ、その支配は海から海へ、大川から地の果てに至る。」しかし、人々のメシアのイメージは「軍馬」に乗っている軍事的なヒーローではなかったかと思います。イエス様は子ろばに乗ってエルサレムに入られたのは、旧約聖書の預言の成就と、メシアについての聖書的な知識を人々に教えるためであったのでしょう。つまり、本当のメシアは「正しい方で、救いを賜り、柔和」な方であることを教えられたのです。
残念なことに、ロバに乗っているイエス様の姿を見ながら、ほとんどの人々は正しいメシアの姿について理解することはありませんでした。イエス様を新しいい王として喜んで迎え入れた群集の多くは、イエス様の十字架に賛成し、十字架のイエス様を罵倒したのです。
それでは、私たちクリスチャンは本当にイエス様が何者であるのかを正しく理解し、その理解に基づいた正しい関係を築く努力を続けていますか?この歩みは、イエス様にお会いするまで終わることはありません。イエス様とお会いした時に、「えっ、イエス様ってこんな方だったの?」と自分のイメージとの違いに驚くようなことがあってはならないのです。イメージの違いがあまりにもひどい場合は、取り返しのつかない結果を招く可能性がある大問題だということを覚えておきましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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