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2022年6月3日(金)
マタイの福音書 26章47-53節 47イエスがまだ話しておられるうちに、見よ、十二弟子のひとりであるユダがやって来た。剣や棒を手にした大ぜいの群衆もいっしょであった。群衆はみな、祭司長、民の長老たちから差し向けられたものであった。48イエスを裏切る者は、彼らと合図を決めて、「私が口づけをするのが、その人だ。その人をつかまえるのだ」と言っておいた。49それで、彼はすぐにイエスに近づき、「先生。お元気で」と言って、口づけした。50イエスは彼に、「友よ。何のために来たのですか」と言われた。そのとき、群衆が来て、イエスに手をかけて捕らえた。51すると、イエスといっしょにいた者のひとりが、手を伸ばして剣を抜き、大祭司のしもべに撃ってかかり、その耳を切り落とした。52そのとき、イエスは彼に言われた。「剣をもとに納めなさい。剣を取る者はみな剣で滅びます。53それとも、わたしが父にお願いして、十二軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下に置いていただくことができないとでも思うのですか。
【ポイント】 ①剣を取る者はみな剣で滅びる ロシアとウクライナについて、ウクライナ支持に偏った報道が真実であると信じている人がたくさんいます。SNSなどでよく見かけるその反対の立場をとる報道を信じている人もたくさんいます。しかし、そこには真実と嘘が巧みに織り交ぜられており、何が真実なのかということについて、一般人である私たちには全く分からなくなっています。しかし、一つだけ確かなことがあります。それは、ロシアとウクライナの問題で一番苦しんでいるのは、その一般人であるということです。一部の権力を持った人たちの思惑のために、一般人である私たちが利用され、踊らされ、犠牲になっているのです。
その責任は、大きな権力をもった一部の人たちだけにあるのでしょうか。決してそうではありません。そのような人たちに利用されている一般市民である私たちにも責任があるのです。一般市民が戦争に巻き込まれ、苦しんでいる理由の一つは、人ひとりが、何が真実なのかを考えることをしなかったことにあるのです。自分たちが、利用されていることに気が付かなかったことにあるのです。ですから、私たちは目を覚ます必要があるのです。
特に、クリスチャンである私たちこそが最初に目覚めるべきです。それは、イエス様のみことばが真実であったことにです。いかなる大義名分があろうと、一人が「剣」をとれば、そこに居る全員が自分を守るために「剣」を取らなくてはならなくなるのは当たり前のことです。そして、剣をもって相手に襲い掛かれば、誰が正義だろうが、悪だろうが、必ず命を落とす者が出て、憎しみの連鎖が始まるのです。世界中のクリスチャンがイエス様のみことばに目と耳を開き、イエス様のみことばに忠実に行動することが求められているのです。
ライフチャーチ 大谷信道