デイリーディボーション 6月5日(火)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 6月5日(火)

2018年6月5日(火)

【通読】
※昨日送信できなかったため、本日は2日分の箇所となります。
コリント人への手紙 第一 1:10-15
10さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください11実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、12あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」と言っているということです。13キリストが分割されたのですか。あなたがたのために十字架につけられたのはパウロでしょうか。あなたがたがバプテスマを受けたのはパウロの名によるのでしょうか。14私は、クリスポとガイオのほか、あなたがたのだれにもバプテスマを授けたことがないことを感謝しています。15それは、あなたがたが私の名によってバプテスマを受けたと言われないようにするためでした。

【ポイント】
①あなたは誰に「ついて」いますか?
10、11節から、コリントの教会には「仲間割れ」「争い」という問題が起きていたことがわかります。それは、12節にあるように「私はパウロにつく」「私はアポロに」「私はケパに」「私はキリストにつく」というような「誰につくのか?」という争いでした。

確かに、教会の中のリーダーを大切にし、リーダーシップを尊重することは重要なことです。例えば、「12兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。13その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。」(1テサロニケ5章)、「5同じように、若い人たちよ。長老たちに従いなさい。みな互いに謙遜を身に着けなさい。神は高ぶる者に敵対し、へりくだる者に恵みを与えられるからです。」(1ペテロ5章)と教えられている通りです。

しかし、「深いけ尊敬払いなさい」「従いなさい」という命令は、決して「崇拝しなさい」という意味ではありません。なぜなら、言うまでもなく、私たちが主と仰いでいるのは、イエス・キリストであるからです。たとえどのように優れ、魅力的な牧師、リーダーがいたとしても、私たちが「ついている」のはキリストであることを絶対に忘れてはなりません。

ところが、教会ではしばしば「牧師崇拝」が起きてしまっていることを見聞きします。イエス・キリストのからだである教会と繋がっているのではなく、牧師の個人的な人柄、賜物などに魅力を感じ、牧師と繋がってしまう現象です。「私は◯◯先生がいるから、この教会に来ています!」または、今日の箇所の表現を使えば「私は◯◯牧師につく」というような感覚を持ってしまうことです。もちろん、牧師の資質は、その教会につながる「きっかけ」にはなることでしょう。しかし、私たちが本当に繋がるべきなのは、キリストご自身であり、そのからだである教会(メンバー一人ひとり)なのです。

あなたは、キリストに繋がっていますか、その御からだである教会に繋がっていますか?自らを振り返ってみましょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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