デイリーディボーション 6月6日(火)

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デイリーディボーション 6月6日(火)

2023年6月6日(火)
【今日のみことば】 ローマ人への手紙 14章1-3節 1あなたがたは信仰の弱い人を受け入れなさい。その意見をさばいてはいけません。2何でも食べてよいと信じている人もいますが、弱い人は野菜よりほかには食べません。3食べる人は食べない人を侮ってはいけないし、食べない人も食べる人をさばいてはいけません。神がその人を受け入れてくださったからです。
①多様性のためにチャレンジ 福音主義のキリスト教会の中では「多様性」ということば、特に「性の多様性」についてはネガティブに捉える傾向があるようです。性の多様性については様々な議論があることを承知しています。実際、聖書を読めば、性の多様化(同性愛)は罪であり、神様の御心ではないことは明らかです。しかし、この点については繰り返し述べていますが、同性愛は罪なわけですが、クリスチャンを含むすべての人間も毎日、罪を犯している罪人です。「わたしは同性愛者ではないから、彼らのような罪を犯していない」と考えているクリスチャンがいたとしたら、その人は自分の罪深さについて大きな勘違いをしていることになるのです。ヨハネの福音書8章7節には、姦淫の罪を犯した女性を石打にしようと言っている人々に対してイエス様が「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」と言われ、そこに居た全員が石を置き、去って行ったことが記録されています。また、使徒パウロも、この手紙の3章23節で「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」と教えています。このように、私たちクリスチャンはクリスチャンになる前も、なった後も依然として罪深い者なのです。ですから、肉体の性と心の性が一致しない人たちをさばくことがあってはならないのです。むしろ、そのような人たちがイエス様の愛を受け取り、クリスチャンとして歩んで行く際に、どのようにしたら重荷を負い合い、祈り合い、助け合っていくことになるのかを考えることが大切なのです。
今日の個所についても、全く同じことが言えます。ここでの「弱い人」とは、イエス様が終わらせられた食物についての律法に縛られ、律法に規定されている汚れた食物を口にしようとしないユダヤ人クリスチャン、またはユダヤ教のバックグラウンドを持つクリスチャンです。「食べる人」とは、マタイ15章にある、イエス様の「聞いて悟りなさい。口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」というみことばを信じている人たちです。さらに、使徒の働きの10章には使徒ペテロに3度も起きた次のような不思議な出来事が記されています。
使徒の働き 10章9-16節 9その翌日、この人たちが旅を続けて、町の近くまで来たころ、ペテロは祈りをするために屋上に上った。昼の十二時ごろであった。10すると彼は非常に空腹を覚え、食事をしたくなった。ところが、食事の用意がされている間に、彼はうっとりと夢ごこちになった。11見ると、天が開けており、大きな敷布のような入れ物が、四隅をつるされて地上に降りて来た。12その中には、地上のあらゆる種類の四つ足の動物や、はうもの、また、空の鳥などがいた。13そして、彼に、「ペテロ。さあ、ほふって食べなさい」という声が聞こえた。14しかしペテロは言った。「主よ。それはできません。私はまだ一度も、きよくない物や汚れた物を食べたことがありません。」15すると、再び声があって、彼にこう言った。「神がきよめた物を、きよくないと言ってはならない。」16こんなことが三回あって後、その入れ物はすぐ天に引き上げられた。
このように、使徒の時代の教会の中には、共に認め合い、受け入れ合い、愛し合っていく際に、様々なチャレンジが存在していたことが分かります。パウロは、「口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」というイエス様のみことばを用いて、しゃくし定規に弱い人々を裁くことなく、その弱さを受け入れるように教えているのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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