デイリーディボーション 6月9日(土)

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デイリーディボーション 6月9日(土)

2018年6月9日(土)

コリント人への手紙 第一 1:26-31
26兄弟たち、あなたがたの召しのことを考えてごらんなさい。この世の知者は多くはなく、権力者も多くはなく、身分の高い者も多くはありません。27しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。28また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。29これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。30しかしあなたがたは、神によってキリスト・イエスのうちにあるのです。キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。31まさしく、「誇る者は主を誇れ」と書いてあるとおりになるためです。

【ポイント】
①「この世の常識」VS 「福音」 その2
さて、これまでも「聖書は文脈から理解することが重要」ということを繰り返し学んできましたね。この方法は聖書辞典や註解書も必要ありません。聖書の前後を丁寧に読むだけで良いのです。

パウロの手紙の特徴の一つは、パウロは常に大きなテーマ(問題点)を念頭に置きながら手紙を書いているということです。前後の文脈を見ることによって、パウロの頭の中にある大きなテーマを理解することができるのです。

それでは、今読んでいる箇所で、パウロが取り扱っているコリントの教会の問題は何だったでしょうか?パウロはどのような問題を解決しようと思いながら手紙を書き進めているのでしょうか。そうです。コリントの教会の問題は1章11-12節に記されていましたね。「11実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、2あなたがたはめいめいに、『私はパウロにつく』『私はアポロに』『私はケパに」『私はキリストにつく』と言っているということです。」

それでは、この「◯◯につく」という大きなテーマはどこまで続いているのでしょうか。手紙を少し読み進めると、3章4節に「 4ある人が、『私はパウロにつく』と言えば、別の人は、『私はアポロに』と言う。そういうことでは、あなたがたは、ただの人たちではありませんか。」とありますから、3章にはいっても、パウロが依然として同じテーマ(問題)について取り扱っていることが分かるのです。

もちろん、聖書の細かな部分まで厳密に学んでいくことは大切です。しかし、細部に拘りすぎてしまったり、一部分だけ抜き出して理解しようとすると、本来著者が伝えたいと思っているテーマを見失ってしまうことがあるのです。

31節の「誇る者は主を誇れ」とは、クリスチャンが自分の力を誇ったり、自分が支持しているリーダーを誇ったりすることは、この世においては当然の如く行われている行為ですが、神様の前では全く無意味なことであるということなのです。そして、この教えは表面的な「謙虚さ」「謙遜さ」を身に着けなさいという単なる「個人」に対する倫理的な教えではなく、「教会」に対する主にある一致の命令なのです。「10さて、兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心、同じ判断を完全に保ってください。」(1:10)

ですから、パウロの大きなテーマからのメッセージを聞く私たちの応答は、「私は教会がイエス・キリストの御名によって一致するために、自分は何ができるのだろうか?」となるのです。この応答の思いを持ちながらパウロの手紙を読んでいくと、手紙がとても分かりやすく感じるようになるはずです。是非、試してみてください。

ライフチャーチ
大谷信道


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