デイリーディボーション 7月10日(月)

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デイリーディボーション 7月10日(月)

2017年7月10日(月)

【通読】
マタイの福音書 11:16-19
16この時代は何にたとえたらよいでしょう。市場にすわっている子どもたちのようです。彼らは、ほかの子どもたちに呼びかけて、17こう言うのです。『笛を吹いてやっても、君たちは踊らなかった。弔いの歌を歌ってやっても、悲しまなかった。』18ヨハネが来て、食べも飲みもしないと、人々は『あれは悪霊につかれているのだ』と言い、19人の子が来て食べたり飲んだりしていると、『あれ見よ。食いしんぼうの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ』と言います。でも、知恵の正しいことは、その行ないが証明します。」

【ポイント】
①ユダヤ人たちのイエス様とバプテスマのヨハネへの不満
ユダヤ人たち、特に、律法学者やパリサイ人はイエス様、バプテスマのヨハネ、そして双方の弟子たちが自分達の言うことを聞かないので腹を立てていました。イエス様は、その様子を子どもたちの「ごっこ遊び」にたとえられています。祝宴や結婚式の真似をして笛を吹いても踊ってくれない、葬儀の真似をして悲しい歌を歌っても悲しんでくれないと、ユダヤ人たちが自分たちの遊びに誘っているのに、その誘いに乗ってくれなくて腹を立てている子どもに似ていると指摘されたのです。つまり、イエス様、バプテスマのヨハネから見れば、律法学者やパリサイ人がやっていることは「宗教ごっこ」のようなものであり、本当の信仰とはほどと遠いものであるり、そのような形だけの遊びに付き合っていられないという皮肉が込められているのです。

また、ヨハネとその弟子たちの禁欲的な生活は、自分たちの節制よりも厳しいものであったので、自分たちが劣って見えないように彼らを非難し、イエス様と弟子たちが、ユダヤ人が「罪人」というレッテルを貼っていた取税人などと食事を姿を見れば、節制の仕方が自分たちよりも劣って見えるので、自分たちを優位に見せるために、その様子を批判したのです。

②他人を批判するのではなく、証しを立てる
他人の信仰の問題点を批判し、さばくことは簡単なことです。しかし、そのような信仰姿勢について、イエス様は厳しく戒められています。例えば、イエス様はマタイ7章でこのように教えられていましたね。「1さばいてはいけません。さばかれないためです。2あなたがたがさばくとおりに、あなたがたもさばかれ、あなたがたが量るとおりに、あなたがたも量られるからです。3また、なぜあなたは、兄弟の目の中のちりに目をつけるが、自分の目の中の梁には気がつかないのですか。4兄弟に向かって、『あなたの目のちりを取らせてください』などとどうして言うのですか。見なさい、自分の目には梁があるではありませんか。5偽善者よ。まず自分の目から梁を取りのけなさい。そうすれば、はっきり見えて、兄弟の目からも、ちりを取り除くことができます。」

さばき合いは、「キリストのからだ」「羊の群れを」を破壊します。赦し合い(受け入れ合い)は、「キリストのからだ」を立てあげ、「羊の群れ」を養うことになります。現状の問題点を明確にすることは信仰の歩みにおいても大切なことです。しかし、他者の問題点を明確にすることと、相手を批判したり、さばくことは別物であることを知りましょう。イエス様が私たちの問題点をはっきりと知りながら、それを赦し、受け入れてくださり、どれだけ忍耐強く私たちを導き続けてくださっているのかを思い出しましょう。私たちも、兄弟姉妹に対して同じように接していくのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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