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2020年7月11日(土)
へブル人への手紙 4:1-2 1 こういうわけで、神の安息に入るための約束はまだ残っているのですから、あなたがたのうちのひとりでも、万が一にもこれに入れないようなことのないように、私たちは恐れる心を持とうではありませんか。2福音を説き聞かされていることは、私たちも彼らと同じなのです。ところが、その聞いたみことばも、彼らには益になりませんでした。みことばが、それを聞いた人たちに、信仰によって、結びつけられなかったからです。
【ポイント】 ①信仰は愛 聖書が教える「信仰」とは何だったでしょうか。「愛」ですね。神様を信じるとは、神様の存在を信じることでも、神が唯一であると信じることでも、神様が罪人を救われるという情報を信じることでも、神様のご利益を信じることでもありません。神様を信じるとは、神様を愛することです。
私たちは、律法の行ないによってではなく、御子イエス・キリストを信じる「信仰」によって「恵み」として救われるというのがキリストの福音です。このキリストの恵みの福音の「律法の行ないなしで救われる」という部分だけを信じている人が多いようです。または、ローマ10章9-10節の「9なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。10人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。」という部分だけを取り出して、「あなたはイエス・キリストを信じますか」という質問に「はい」と答えれば救われるというよこのような教え方は「別の律法」を教えているにすぎないのです。つまり「特定の行為によって義とされる」という律法の行ないによる義とを似たようなことを教えることになっているのです。
イエス・キリスト、そしてキリストが完全に啓示された天の父を心から愛さない者が、信仰による救いを得ることはないのです。もし、別に律法があるとすれば、それは「神を愛しなさい」「隣人を愛しなさい」という「愛の律法(筆者の造語)」なのです。救いには条件は無いという勘違いをしている人が多いのですが、それは間違いです。救いの条件は、キリストの愛を知った者が、自発的に神を愛する決意をすることです。これを聖書では「信仰」と呼んでいるのです。男女が互いに愛し合う決意をしたときに「結婚」が成立するのと同じように、神様が私たちをまず愛してくださり、私たちがその愛を受け取り、神様を愛する決意をしたときに「救い」が成立するのです。中には、相手の財産目的で「口先」で愛を告白し、結婚する人もいるようですが、そのような結婚、愛は誰が見ても不純なものであることが分かります。同じように、「永遠のいのち」「天国」「罪の赦し」「祝福(相続)」を目的に神様に近づき、口先で信仰告白をしたとしても、その信仰(愛)は不純なものであり、そこに救いは無いのです。
ですから、私たちは人々の不純な動機を抱かせるような誘惑をしないためにも、イエス・キリストの福音について、信仰について、恵みについて正しく教え続け、学び続けることが重要なのです。
ライフチャーチ 大谷信道