デイリーディボーション 7月11日(水)

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デイリーディボーション 7月11日(水)

2018年7月11日(水)

コリント人への手紙 第一 6:18-20
18不品行を避けなさい。人が犯す罪はすべて、からだの外のものです。しかし、不品行を行なう者は、自分のからだに対して罪を犯すのです。19あなたがたのからだは、あなたがたのうちに住まれる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたは、もはや自分自身のものではないことを、知らないのですか。20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。

【ポイント】
①私たちのからだは「神様の住まれる宮」
イエス・キリストを信じる私たちは「罪の贖い」を受けています。しかし、それは罪の罰である永遠の死から救い出されただけではありません。刑罰に対する保釈金が支払われただけでもありません。20節にある通り、私たちは「代価を払って買い取られた」のです。つまり、私たちの全存在は「もはや自分自身のものではない」、神様のものになっているのです。

昨日、私たちは神様の愛に応え、神様を愛する中で、神様を喜ばせる正しい歩みに導かれることを学びました。しかし、今日の箇所では、「代価を払って買い取られた」という事実が、私たちが正しい行いを選び取っていく別の理由であることが分かります。

みなさんは、自分のからだ、自分の魂、自分の人生、自分のすべてがもはや自分のものではなく神様のものであるという、ある意味全く新しい価値観の中に生きているでしょうか。「神様を信じることによって自分自身の人生をより良い人生を歩みたい。」というような、依然として自分中心の価値観の中にとどまってしまっていることはないでしょうか?罪の贖いを受けている私たちは、その事実に即した「自分自身が神のもの」という新しい価値観の中に生きていくことが求められているのです。

新しい価値観から見ると、19節にある通り、わたしたちのからだは「神様の住まわれる宮」なのです。この事実から、何が神様の宮にふさわしいの否かを考えることができるのです。不品行を行わないだけでなく、神様のために自分のからだをいたわったり、健康に気遣うことも大切なことでしょう。かては、「自分のからだは自分のものなのだから、好きなように働き、好きなように飲み食いしても誰に迷惑をかけるわけじゃない!」と考えていたかもしれませんが、わたしたちクリスチャンにとってはそうではないということです。再度、20節のパウロのことばから聞いてみましょう。「20あなたがたは、代価を払って買い取られたのです。ですから自分のからだをもって、神の栄光を現わしなさい。」

ライフチャーチ
大谷信道


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