デイリーディボーション 7月13日(火)

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デイリーディボーション 7月13日(火)

2021年7月13日(火)
マタイの福音書 6:16-18 16断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。17しかし、あなたが断食するときには、自分の頭に油を塗り、顔を洗いなさい。18それは、断食していることが、人には見られないで、隠れた所におられるあなたの父に見られるためです。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が報いてくださいます。
【ポイント】 ①自分も偽善者の一人である自覚を持つ イエス様の言う「偽善者」とは、律法を大切にしていると言いながら、神様との愛の関係によってではなく、人から信心深い者としてほめて欲しいという欲求によって動かされてしまっている「パリサイ人」や「律法学者」を指していると思われます。天の父との直接的な交わりを持っていたイエス様からすると、そのような人々の信仰は口先だけで、神様との愛の関係が全くないことに心を痛めたことでしょう。
私は、聖書を大切にしている(保守的・福音的)クリスチャンは、「パリサイ人」「律法学者」と非常に似たところがあると思っています。なぜなら、私たちも彼らも、同じ罪の性質を持つ人間だからです。つまり、イエス様の弟子として歩むことを決めたら、牧師や教会の兄弟姉妹などから信仰的なクリスチャンであると認められたい、ほめられたいという気持ちを持つことはごく普通のことであり、そのような気持ちを100%殺して生きることは、ほぼ不可能だからです。
しかし、私たちは、自分がそのような欲求に支配されてしまうことがあることを認めることはできるのです。つまり、「神様のため」といいながら「ひとからほめられること」を喜びとしてしまうことがある自分の内面を正直に認めること、自分が「偽善者」であることを認めることは私たちの全員ができるのです。
「偽善者」の問題は、自分が偽善者であること、つまり自分の考えや言動と、実際の行動に矛盾があることを決して認めないことにあります。ですから、私たちの最初の一歩は、自分がイエス様が問題視されていたパリサイ人や律法学者に大変似たものであることを認めることなのです。
詩篇51:16-17 16たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。17神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません。
ライフチャーチ 大谷 信道


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