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2018年7月13日(金)
コリント人への手紙 第一 7:1-6
1さて、あなたがたの手紙に書いてあったことについてですが、男が女に触れないのは良いことです。2しかし、不品行を避けるため、男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。3夫は自分の妻に対して義務を果たし、同様に妻も自分の夫に対して義務を果たしなさい。4妻は自分のからだに関する権利を持ってはおらず、それは夫のものです。同様に夫も自分のからだについての権利を持ってはおらず、それは妻のものです。5互いの権利を奪い取ってはいけません。ただし、祈りに専心するために、合意の上でしばらく離れていて、また再びいっしょになるというのならかまいません。あなたがたが自制力を欠くとき、サタンの誘惑にかからないためです。6以上、私の言うところは、容認であって、命令ではありません。
【ポイント】
①パウロの教えと命令
今日は昨日と同じ箇所です。
1節の「男が女に触れないのは良いことです」という箇所や、この後の7、8節を読んで、独身を貫くことがクリスチャンとしての最善の生き方であると聖書が教えていると勘違いしているクリスチャンが少なからずいるのではないかと思います。さらに、カトリック教会で「独身」が教職者となるための制度上の条件となっていることもこの勘違いの原因となっているのでしょう。
しかし、パウロは2節で、不品行を避けるために「男はそれぞれ自分の妻を持ち、女もそれぞれ自分の夫を持ちなさい。」と教えています。そもそも、神様は創世記9章1節でノアと、その息子たちを祝福して、「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」と言われていますし、イエス様もヨハネの福音書2章で結婚(結婚式)を祝福されています。さらに、1コリ9章5節の「5私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。」という記述から、ペテロなどの使徒たちが結婚し、妻と共にミニストリーを行っていたことは明らかです。
とはいえ、結婚によって自動的に不品行から離れたり、夫婦生活が健全なものになるわけではありません。結婚し家庭を築いた物は、その家庭を神様の御心に沿うように導き、育てるというミニストリー(働き・責任)が神様から与えられていることを忘れてはなりません。パウロは自分が与えられている使命を全うするため、異邦人伝道&教会形成という働きのために「独身」であることを選びました。しかし、結婚を選んだ者は、家庭も自分の働きの場となるのです。
恐らく、コリントの教会では、不品行の問題だけでなく、夫婦、家庭の問題が山積していたのだと思われます。しかし、結婚するにしろ、独身でいるにしろ、どちらも「主のため」に行うことによって教会生活、家庭生活が祝され、幸せな日々を送ることができるのです。
ライフチャーチ
大谷信道