デイリーディボーション 7月15日(月)

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デイリーディボーション 7月15日(月)

2019年7月15日(月)
マルコの福音書 12:19‐25 19「先生。モーセは私たちのためにこう書いています。『もし、兄が死んで妻をあとに残し、しかも子がない場合には、その弟はその女を妻にして、兄のための子をもうけなければならない。』20さて、七人の兄弟がいました。長男が妻をめとりましたが、子を残さないで死にました。21そこで次男がその女を妻にしたところ、やはり子を残さずに死にました。三男も同様でした。22こうして、七人とも子を残しませんでした。最後に、女も死にました。23復活の際、彼らがよみがえるとき、その女はだれの妻なのでしょうか。七人ともその女を妻にしたのですが。」24イエスは彼らに言われた。「そんな思い違いをしているのは、聖書も神の力も知らないからではありませんか。25人が死人の中からよみがえるときには、めとることも、とつぐこともなく、天の御使いたちのようです。
【ポイント】 ①サドカイ人の不信仰に驚く 昨日の説教箇所です。サドカイ人たちはイエス様を論破するために策を練り、代表を送ったのではないかと推測できます。つまり、今日の箇所に記されているサドカイ人の質問は、一個人のものではなく、サドカイ派の主要メンバーであった「祭司」たちの信仰を正確に反映していたものと考えられるのです。その信仰とは、先日も学びましたが「死者の復活はない」「天使は存在しない」(使徒23:8)というものです。
神殿で神に仕える祭司たちが、聖書に記されている目に見えない領域の出来事について信じていなかったということなのです。つまり、そこからたどり着くことができる結論は、祭司たちは、私たちクリスチャンが考えている「信仰」を全く持っていなかったということになります。ということは、祭司たちは、神様の名を利用し、神殿に神様が住んでいることを信じているかのようなふりをし、人々から捧げもなどをかすめ取っていたということになります。このような光景は、多くの宗教で見ることができるわけですが、聖書のみことばの内容を理解したり、暗記していたはずの祭司たちがこのような状態に陥ってしまっていたことに驚きを覚えるクリスチャンは少ないくないでしょう。
しかし、サドカイ人の不信仰は決して他人事ではありません。現代のクリスチャン(神学者)の中にも、サドカイ派と似たような教えを信じている人は少なくありません(パリサイ人のような律法主義にに陥っているクリスチャンもたくさんいます)。ですから、私たちクリスチャンにとっては、このような出来事すべてが、自分自身の信仰を見つめなおす機会となるのです。
聖書に記されている生きた神様との交わり、愛の関係から離れ、「信仰」が伝統、習慣、思想、道徳の実践や継承程度になってしまっているクリスチャンはいないでしょうか。
ライフチャーチ 大谷信道


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