デイリーディボーション 7月18日(水)

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デイリーディボーション 7月18日(水)

2018年7月18日(水)

コリント人への手紙 第一 7:17-24
17ただ、おのおのが、主からいただいた分に応じ、また神がおのおのをお召しになったときのままの状態で歩むべきです。私は、すべての教会で、このように指導しています。18召されたとき割礼を受けていたのなら、その跡をなくしてはいけません。また、召されたとき割礼を受けていなかったのなら、割礼を受けてはいけません。19割礼は取るに足らぬこと、無割礼も取るに足らぬことです。重要なのは神の命令を守ることです。20おのおの自分が召されたときの状態にとどまっていなさい。21奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。22奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。23あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。24兄弟たち。おのおの召されたときのままの状態で、神の御前にいなさい。

【ポイント】
①やはり再臨の準備のためだった
今日の箇所から、これまで続いてきた「結婚」「離婚」などの教えは、近く起こるであろうイエス様の再臨に備えるための教えであったことが分かります。7章では「不品行を避けなさい」という命令から、「結婚・離婚」、さらに今日の箇所では「割礼」「奴隷(身分)」についての教えと、話があちこちに飛んでしまっているという印象を受ける人が多くいるかもしれません。しかし、パウロの本当に伝えたいことは一切ブレていません。それは、「再臨に備えて行動せよ!」というものです。この観点からパウロがコリントの教会を見ると、あちらにもこちらにも気になる問題がたくさんあったのです。

もし、「明日イエス様の再臨がある。」と分かったら、私たちはどのような一日を過ごすでしょうか。それが1年後、10年後だとしたらどうでしょうか。イエス様がいつ来られても良いように準備しようと思ったとき、私たちが地上で大切にしている多くのことが、それほど大切ではないことに気づくのではないでしょうか。

現代に生きる私たちは「自分が生きている間に再臨はない」と思い込んでしまっていることはないでしょうか。再臨はないという前提で、人生設計をしてしまっていることはないでしょうか。確かに、2000年以上再臨が起きていない状態が続いています。だからといて、自分が生きている間に再臨がないことを前提にしてしまって良いことにはならないのです。

2ペテロ 3章
8しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。9主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。10しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。11このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。

ライフチャーチ
大谷信道


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