デイリーディボーション 7月2日(金)

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デイリーディボーション 7月2日(金)

2021年7月2日(金)
マタイの福音書 6:5-8 5また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。6あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋に入りなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。7また、祈るとき、異邦人のように同じことばを、ただくり返してはいけません。彼らはことば数が多ければ聞かれると思っているのです。8だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
【ポイント】 ①イエス様の命令に忠実ですか? イエス様の祈りについての命令を読むときに、私はいつも「私たち人間は本当に宗教が好きなのだな」と感じます。私自身は、教会・クリスチャンホームで育つ中で、そこにいる大人のクリスチャンたちに教わったり、真似をして祈り方を覚えてきました。先輩クリスチャンのように祈れるようになったら一人前のクリスチャンになれるのだと考えていました。
そして、その中で実につけた祈り方の方向性(目標)は、1)目を閉じ、荘厳な感じの口調でいのること、2)宗教用語をたくさん使うこと、3)たくさん祈ること、4)早口ですらすらといのること、などだったと思います。これらができると「上手に祈れたな!」「クリスチャンらしいな!」などと感じたものです。つまり、自分の中にある「宗教」のイメージに近づけるように努力していたのです。
しかし、イエス様はの祈りについての教え、命令を読めば、それらの祈りの目標がすべて間違いであることに気が付くのです。多くの人が考えていた宗教的(信仰的)な祈りのフォーマットは、人間が勝手に作り出した習慣に過ぎないということなのです。
あなたがイエス様と直接顔と顔を合わせて話す時に、今、あなたが祈っているような口調や語彙で話をするでしょうか?そのようなことはありませんね。多分、普通に、普段他の人としゃべっているように話すことでしょう。ということは、私たちが祈る時、イエス様がすでに私たちと共にいてくださり、私たちの祈りをリアルタイムで聴いてくださっていることを忘れていることにならないでしょうか。
恐らく、イエス様が一番気になったポイントはそこになるのでしょう。ユダヤ人たちが、宗教行為として祈りを行っているけれども、その人が天の父と直接語り合っている姿を見ることができなかったのです。神様の臨在が欠落した祈りは、ただ空しい独り言であり、自己満足のための行為になりかねないのです。
イエス様の祈りについての教えと命令について真剣に考え、振り返り、イエス様の求められる祈りに変えていきませんか?
ライフチャーチ 大谷 信道


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