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2022年7月20日(水)
マタイの福音書 28章7-8節 7ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」8そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。
【ポイント】 ①イエス様の死と復活を告げ知らせる イエス様の復活を世界で一番最初に伝えたのはマグダラのマリヤともう一人のマリヤでした。彼女たちは「大喜び」で他の弟子たちにイエス様の復活を伝えたのです。一方、ヨハネの福音書20章2節には、この女性が「だれかが墓から主を取って行きました。主をどこに置いたのか、私たちにはわかりません。」と話したと記録されていますので、彼女たちがこの時点ではイエス様の復活の意味を十分に理解してなかった可能性もあります。ヨハネとマタイの福音書に記述の違いがありますが、女性たちがイエス様の墓が空だったことを最初に発見したという事実には違いがありません。そして、使徒の働き4章33節に「33使徒たちは、主イエスの復活を非常に力強くあかしし、大きな恵みがそのすべての者の上にあった。」と記されている通り、イエス様の復活を人々に伝えて行ったのです。
それでは、イエス様の復活はあなたにとってどのような意味がありますか?様々な答えがあるかと思いますが、私にとって最も重要なものは、イエス様が間違いなく神の御子であり、神であることが証明されたことです。それは、イエス様が十字架の前に教えられていた「愛」のメッセージが真実(真理)であったことの証明でもあるのです。それは、神様が私たちを愛しておられるというメッセージです。私たちはイエス様が明らかにされた神様の愛を受け、神様を心から愛して良いということを意味しています。
「神を心から愛し神様に近づくこと」「神のご利益を信じ神様に近づくこと」「神からの罰を恐れ、神様の好意を得るために神様に近づくこと」は、一見すると大変似たものに見えますが、実は全く別物または、正反対のものなのです。1番目を大切にする人は、自分が信仰しようと思っている対象が真実なものであるのか、本当に人生を捧げるだけの価値がある存在なのかを見極めたうえで、神に近づきます。2番目は、自分の願いを叶え、自分の欲求を満たしてくれるのであれば、それが誰であろうが気にすることなく、ご利益だけを見て神に近づくのです。3番目は、罰を受けたくないという恐怖に心が支配され、その恐怖から逃れるために、神のご機嫌を伺うために神に近づくのです。1番目以外は、純粋な信仰でも、神様に対する愛でもありません。単に、自分の利益、安全のために神に近づいているだけなのです。残念ながら、クリスチャンも含め、多くの人がそのような状態に陥っているのではないでしょうか。
ヨハネの福音書15章9節 9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
ライフチャーチ 大谷信道