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2021年7月22日(木)
マタイの福音書 6:33-34 33だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。34だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。
【ポイント】 ①「神の国とその義を求める」とは? 33節の「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。」という命令は、イエス様の福音の最も短いバージョンとも言うことができるでしょう。「神の国」とは、神様が王様として支配される国(領域)であり、「神の国を求める」とは、私たちが自ら進んで神様の支配に服従する生き方を求めることであり、具体的には「神様の義」、つまり神様の前で正しいことを選び取っていくことです。別の言い方をすれば、神様の御心を受け入れ、それに沿って生きることと言うことができるでしょう。
「神の国とその義とをまず第一に求める」ことのさらなる具体的内容については、イエス様のみことばから学んで行くことになりますが、押さえておくべきポイントは一つです。それは、「神様を一番に愛する」ことです。いつもお話していますが、ここで多くの人が勘違いをしています。「愛する」とは「好き」というような「心の中の思い」ではないということです。私たちが神様だけでなく、誰かを愛する時に、かならず行動、生き方、価値観に変化が起こります。例えば、本当に家庭を愛する人は、妻や夫、子どもを一番大切にするように変わっていきます。独身の時は、自分のために時間もお金も自由に使うことができたかもしれませんが、それが家族を最優先するようになるのです。反対に、時間やお金の使い方が独身の時とそれほど変わらない人を見たら、この人は本当に家族を愛しているのだろうかと疑問に思うはずです(残念なことに、私のサラリーマン時代は、そのような人の方が大多数でした)。同じように、神様を愛し、神様を一番大切にしている人は、その生き方が変えられて行くはずなのです。その生き方を一言で言えば「神の国とその義を求める」となるのです。
多くのクリスチャンは「自分は神様を愛している」と思っていることでしょう。しかし、自分の時間やお金の使い方から始め、自分の生き方を客観的に観察する時に、「ああ、この人は本当に神様を愛しているのだな!」という結論に達することができるでしょうか。
最後に、後半部分について考えてみましょう。日々の生活の中で、心配や不安が絶えない人は、いくらその心配事の解消のために取り組んでもだめなのです。私たちは、それらの心配事について考えることを止め、神様を愛し、神様を一番にする生き方を選び取るときに、神様はその問題に対処してくださるというのです。
私たちが向き合うべきは「一つひとつの問題(心配・不安)」ではなく「神様」なのです。この発想の転換を素直に受け入れる人は、主にある平安の中に生きることができるのです。
ライフチャーチ 大谷 信道