デイリーディボーション 7月23日(火)

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デイリーディボーション 7月23日(火)

2019年7月23日(火)
マルコの福音書 12:41-44 41それから、イエスは献金箱に向かってすわり、人々が献金箱へ金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちが大金を投げ入れていた。42そこへひとりの貧しいやもめが来て、レプタ銅貨を二つ投げ入れた。それは一コドラントに当たる。43すると、イエスは弟子たちを呼び寄せて、こう言われた。「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。44みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」
【ポイント】 ①愛の応答としての献金 私たちは、神様が私たちのために与えてくだった犠牲の大きさによって神様の愛の大きさを知ることができました。それは独り子イエス・キリストです。「相手のための犠牲の大きさ」と「相手への愛の大きさ」が比例するというのは、普遍的な神の国の法則なのです。
つまり、私たちの神様への愛が「口先だけ」「心の思いだけ」なのか、「真実なもの」なのかは、私たちのささげもの(献金)を見れば明らかだということです。ささげものは私たちの神様に対する愛の真実さ、神様に対する忠実さのバロメータなのです。
しかし、今日のイエス様のポイントは献金額でも、献金の収入に対する割合でもないということです。問題は私たちの神様に対する愛の真実さであるということです。
私たちはいずれ、イエス様と顔と顔を合わせることになります。その時に私たちのイエス様に対する愛の真実さ、誠実さが明らかにされます。その時に今日の「貧しいやもめ」がイエス様から大きな報いを受けること、「金持ち」はそうではないことは明らかです。
たとえば、もちろん律法主義的、ご利益宗教的な感覚から什一献金をささげたとしても、それは神様への愛の応答にはならないでしょう。しかし、神様の前で正当化できないような理由で、惜しんで什一献金すらしなかったとしたら、あなたは、イエス様と顔と顔を合わせるとき「私はあなたを愛しています!」と言うことができるでしょうか。この貧しい女性は確信と喜びをもって主の御前に立つことになり、「金持ち」たちは主の御前で恥じ入ることになるのです。
ライフチャーチ 大谷信道


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