デイリーディボーション 7月25日(水)

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デイリーディボーション 7月25日(水)

2018年7月25日(水)

コリント人への手紙 第一 8:7-8
7 しかし、すべての人にこの知識があるのではありません。ある人たちは、今まで偶像になじんで来たため偶像にささげた肉として食べ、それで彼らのそのように弱い良心が汚れるのです。8しかし、私たちを神に近づけるのは食物ではありません。食べなくても損にはならないし、食べても益にはなりません。

【ポイント】
①「知識」だけで行動すると
「偶像は実在しない」という「知識」のみで教えると、「偶像にささげられた肉でも、そうでなくても、肉はただの肉なので食べても良い」となってしまいます。全員がそのような確信を持てれば良いのですが、実際には「すべての人がこの知識があるのではない」のです。

パウロが今回問題として挙げている「ある人」のケースは「偶像にささげられた肉を食べる異邦人クリスチャン」です。正しい知識からすると、何の問題もないように思えますが、そうではありません。この人の問題は、クリスチャンになった後に「本当は食べないほうが良い」と思っているのに、偶像にささげられた肉を食べてしまっていることです。つまり、この人は「クリスチャンはどのような肉を食べてもよい!」という確信に基づいてではなく、「本当は食べないほうが良い」と思いながら食べているのです。実際にそれは罪ではないのですが、「神様の御心に背いて偶像にささげられた肉を食べ罪を犯している。」という意識を持っているにもかかわらず、偶像にささげられた肉を食べ続けているのです。パウロはそのような心のあり方に問題を見出しているのです。

つまり、この人が「偶像にささげられた肉を食べることは罪である。」と思い込んでしまっているのであれば、周りのクリスチャンは「そのように感じてしまっているのであれば、その肉を食べることをやめておきましょう!」と、その人の「弱い良心が汚れる」ことがないように教え、導く必要があるということです。

「偶像にささげられた肉」についての学びは、現代のクリスチャンの「お酒」についても問題に適用することができます。聖書はクリスチャンがお酒を飲むことを禁じていません。酒に酔うことについては警告が与えられています(エペソ5:19等)。ですが、アメリカ国内、アメリカ人宣教師の影響を強く受けている地域では、お酒そのものが邪悪なものであると教えられているケースが多いです。日本もその一つです。今日のパウロの教えを適用するのであれば、私たちの兄弟姉妹にお酒を飲むことが罪だと感じている人がいたら、それは正しい理解ではないのですが、その思いを大切にしてあげなくはならないということです。「聖書にお酒を一滴も飲んではいけないなんて書いてないよ!」などと言って、その人に無理にお酒を勧めてしまうと、その人はお酒を飲むことを罪だと信じているわけですから、罪を犯させることになってしまうということです。ですから、注意が必要なのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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