デイリーディボーション 7月27日(土)

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デイリーディボーション 7月27日(土)

2019年7月27日(土)
マルコの福音書 13:11-13 11彼らに捕らえられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。12また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。13また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。
【ポイント】 ①平和ボケに注意 私たち日本人クリスチャンは、70年以上戦争も、宗教弾圧を個人的に経験していません。これは大変すばらしいことである一方、「平和ボケ」のために聖書のメッセージを正確に理解することができない一因にもなっていると考えます。
イエス様の使徒たちの時代は、ローマ帝国の圧倒的な支配力(武力)のために、「ローマの平和」と呼ばれる戦争や反乱の少ない時代でした。しかし、それは私たちが日本で享受しているような平和とは全くレベルの違うものでした。何の罪も犯していないイエス様が十字架にかけられ殺されてしまった事実を見れば、不当な逮捕、不当な裁判、不当な宗教的迫害が行われていたことが分かります。さらに、使徒の働きに記録されているステパノ、ヤコブの迫害・殉教を見ても、キリスト教の弾圧、迫害は1世紀のクリスチャンにとって現実に起きている出来事だったのです。
ですから、13節の「また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」とは、「迫害で命を落とす時まで信仰を持ち続ける人は救われる」という意味なのです。
当時のクリスチャンは為政者からの迫害や弾圧を受けたり、仲間の裏切り、密告、偽証などによって不当に逮捕されたり、刑罰を受けさせられる危険に直面していたということです。ですから、彼らの「失望」とは、「ちょっと人間関係で嫌なことがあった」とか、「仕事や勉強で自信を失った」というような類のものではなく、キリストを信じることによって自分の命を落としたり、愛する者が命を落とすというような極めて重大な事柄から来るものだったとおもわれます。同じく「希望」とは、地上で自分の夢が実現することなのではなく、どのような惨めな形で命を落としたとしても、キリストを信じる者は必ず主のみもとに行くことができるという「希望」なのです。
ローマ人への手紙 8章 35私たちをキリストの愛から引き離すのはだれですか。患難ですか、苦しみですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。36「あなたのために、私たちは一日中、死に定められている。私たちは、ほふられる羊とみなされた。」と書いてあるとおりです。37しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。
イエス様の弟子たちが現代のクリスチャンの姿を見たらどのように思うでしょうか? よく考えてみましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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