デイリーディボーション 7月27日(金)

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デイリーディボーション 7月27日(金)

2018年7月27日(金)

コリント人への手紙 第一 8:9-13
9ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。10知識のあるあなたが偶像の宮で食事をしているのをだれかが見たら、それによって力を得て、その人の良心は弱いのに、偶像の神にささげた肉を食べるようなことにならないでしょうか。11その弱い人は、あなたの知識によって、滅びることになるのです。キリストはその兄弟のためにも死んでくださったのです。1あなたがたはこのように兄弟たちに対して罪を犯し、彼らの弱い良心を踏みにじるとき、キリストに対して罪を犯しているのです。13ですから、もし食物が私の兄弟をつまずかせるなら、私は今後いっさい肉を食べません。それは、私の兄弟につまずきを与えないためです。

【ポイント】
①パウロの結論に倣う
パウロの結論はこうです。1)偶像の神は実在しない。2)ですから、偶像にささげられた肉はただの肉。3)ゆえに、それを食べても罪にはならない。4)しかし、人が偶像にささげられた肉を食べることに良心の呵責を覚えるのであれば、その人は罪を犯しているのと同じ。5)愛する兄弟姉妹に不必要な誘惑を覚えさせたり、つまずかせたりしないために、自分はいっさい肉を食べない。

知識ある者としてキリストにある自由を楽しむことによって、キリストにある兄弟姉妹をつまずかせてはならないということです。

現代のクリスチャンの中にも「弱い人たち」がいます。聖書では禁じられていないことを戒律として守っていることがいくつもあると思います。最もわかりやすい例が「お酒」でしたね。今日のパウロの教えに従えば、お酒を飲むことが罪だと思いこんでいる兄弟姉妹にお酒を勧めることも、その人の前でお酒を飲むことも慎むべきであることが分かります。

一方、「教会の兄弟姉妹の前ではお酒は飲みません、勧めることもしません」といいながら、自宅で酒を飲み、酔ってしまえば、それは聖書の教えに反することになります。「誰にも迷惑をかけてないじゃないか!」という反論が聞こえてきそうですが、私たちクリスチャンの戒めの基準は「人に迷惑をかけるか否か」ではありません。少し先の箇所になりますが、パウロの別の結論を確認しておきましょう。

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(1コリント 10:31)

ライフチャーチ
大谷信道


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