デイリーディボーション 7月28日(金)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 7月28日(金)

2017年7月28日(金)

【通読】
マタイの福音書 13:24-30
24イエスは、また別のたとえを彼らに示して言われた。「天の御国は、こういう人にたとえることができます。ある人が自分の畑に良い種を蒔いた。25ところが、人々の眠っている間に、彼の敵が来て麦の中に毒麦を蒔いて行った。26麦が芽ばえ、やがて実ったとき、毒麦も現われた。27それで、その家の主人のしもべたちが来て言った。『ご主人。畑には良い麦を蒔かれたのではありませんか。どうして毒麦が出たのでしょう。』28主人は言った。『敵のやったことです。』すると、しもべたちは言った。『では、私たちが行ってそれを抜き集めましょうか。』29だが、主人は言った。『いやいや。毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない。30だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう。』」

【ポイント】
①厳しい現実に目を向ける
種蒔き(良い土地と悪い土地)のたとえに続き、「良い種と悪い種」のたとえを語られています。どちらものたとえも大変厳しい警告が含まれています。それは、一見すると信仰をもってあゆんでいるように見える人も、長い目で見ると、実際には信仰をもっていなかったことが判明することがあるというものです。

私たち福音主義的なクリスチャンはイエス様が警告している内容にナイーブな面があると思われます。例えば、「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。」(ローマ10:9)や「ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です」と言うことはできません。」(1コリント12:3)などという箇所から、「イエス・キリストを信じます」というような文言を口にすれば、その人は必ず救われていると教える牧師や、宣教師が多いのです。

しかし、今日のようなイエス様のみことばを聞けば、一見するとイエス様を信じ、救われているように見える人の中に、実際には心から信じていない者、信仰の歩みから離れていってしまう人が存在することが明らかなのです。

②長い目で見ることが大事
私たちにとって大切なことは、誰が救われて、誰が救われていないかを詮索することではありません。自分自身、そして信仰を告白している人たちが、イエス様に従い続けることができるように、かかわり続けていくことです。キリストのからだである教会にしっかりつながり、キリスト、そして愛する兄弟姉妹との愛を築き、深めていく祝福を体験し、証ししあっていくことです。神様の愛を知ったときの一時的な感激、感動を大切にするのではなく、神様との長い歩みの中にこそ、さらに大きな喜びがあることを分かち合っていくのです。

これまで何度も学んでいますが、信仰の歩みは結婚生活と似ているのです。公園などで、お互いをいたわりあいながら散歩をしている老夫婦を見ることがありますね。そのような夫婦の姿から、結婚生活の中の紆余曲折、様々な危機を乗り越えた先には、さらに大きな愛、そこから来る喜びあることを知ることができます。信仰も、その歩みの先にさらに大きな祝福が待っているのです。

マタイ13章を学んで、自分の信仰について不安になってしまう人もいるかもしれません。しかし、恐れることはありません。とにかく、イエス様を愛すること、イエス様のからだである教会を愛することを、弛まずに続けていけば良いのです。信仰の歩み、教会生活が長続きしていること、その過程で神様との間、主にある兄弟姉妹との間、夫婦、親子の間に愛の実が実りつつあることを確認できれば、自分が主の御手の中にあることが確認できるのです。

ライフチャーチ
大谷信道


side_worship side_info