デイリーディボーション 7月3日(水)

誰でも気軽に集える、明るく、カジュアルな雰囲気の教会です。

デイリーディボーション 7月3日(水)

2019年7月3日(水)
マルコによる福音書 11:15-18 15それから、彼らはエルサレムに着いた。イエスは宮に入り、宮の中で売り買いしている人々を追い出し始め、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒し、16また宮を通り抜けて器具を運ぶことをだれにもお許しにならなかった。17そして、彼らに教えて言われた。「『わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる』と書いてあるではありませんか。それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしたのです。」18祭司長、律法学者たちは聞いて、どのようにしてイエスを殺そうかと相談した。イエスを恐れたからであった。なぜなら、群衆がみなイエスの教えに驚嘆していたからである。
【ポイント】 ①ミニストリー、それとも商売? その線引きは? 私たちクリスチャンは、神と隣人を愛するという使命が与えられています。隣人愛の具体的な実践の中には「人に仕えること」が含まれます(1ペテロ4:10)。そのため、特に規模の大きな教会では、人々に仕えるための働きが行われています。人々に対するサービスが充実している教会は、人々の目には魅力的に写りますから、結果としてより多くの人が集まるようになるわけです。一方、商業主義的な感覚、マーケティング的な視点から考えると、つまり、その地域でより多くの信者を集めたいと考えれば、ほかの教会よりも魅力的なサービスを提供することが非常に効果的な方法であるということです。
イエス様の時代の神殿の中での「両替」「ささげもの販売」は、巡礼者にとっては大変便利なサービスでした。冷静に見れば、神殿側(祭司たち)は、自分たちが販売している貨幣、動物でなければ正式な捧げものとして認めなかったわけですから、独占的で、悪質な商売を行っていたことが明らかです。神殿での商売は、人々の純粋な信仰につけこんだ、極めて悪質なものだったわけですが、その問題点を知りながら、礼拝者、巡礼者が、ある意味便利なサービスとし利用していたからこそ、この商売が成り立っていたという側面もあるのです。日本の神社仏閣でも当然のように行われ、人々も喜んで、ただの布製品や紙製品に実際の価値の何倍もの値段を払うのです。
この出来事を知る私たちは常に、自らに問いかける必要があります。「このサービスは人々を喜ばすものなのか、それとも神様を喜ばすものなのか?」「このサービスは信者獲得のための手段なのか、それとも純粋に人に仕えるための機会なのか?」人々から喜ばれることが、神様に喜ばれることであるとは限らないことを覚えておきましょう。
ライフチャーチ 大谷信道


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