デイリーディボーション 7月30日(月)

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デイリーディボーション 7月30日(月)

2018年7月30日(月)

コリント人への手紙 第一 9:1-3
4 いったい私たちには飲み食いする権利がないのでしょうか。5
私たちには、ほかの使徒、主の兄弟たち、ケパなどと違って、信者である妻を連れて歩く権利がないのでしょうか。6
それともまた、私とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。7
いったい自分の費用で兵士になる者がいるでしょうか。自分でぶどう園を造りながら、その実を食べない者がいるでしょうか。羊の群れを飼いながら、その乳を飲まない者がいるでしょうか。

【ポイント】
①パウロの選択に学ぶ
「偶像に捧げられた肉」という大きなテーマを見失わないように考えていきましょう。イエス様の「10聞いて悟りなさい。11口に入る物は人を汚しません。しかし、口から出るもの、これが人を汚します。」(マタイ15章)という教えから、私たちクリスチャンは偶像に捧げられた肉が私たちを汚すことなく、どのような肉であっても食べても良いという「自由」または「権利」を持っています。

しかし、パウロはキリスト者としての「自由」や「権利」を用いることよりも、「教会の徳を高めること」「兄弟姉妹につまずきを与えないこと」、つまり「兄弟姉妹を愛する」という命令のほうが「自由」や「権利」よりも優先されると教えているのです。

「愛」を優先させることの大切な例として、パウロは自分自身が与えられている「使徒としての権利」について詳しく教えた上で、自分自身は、教会の兄弟姉妹のために、それらの「自由」や「権利」を用いていないことを証ししているのです。

使徒としての「権利」、クリスチャンとしての「権利」は、「用いる自由」だけでなく「用いない自由」もあるということなのです。

現代においては「偶像にささげられた肉」と類似点が多いものとして「お酒」を例に挙げてきましたが、私たちクリスチャンはお酒を「飲む自由」も「飲まない自由」も与えられているということです。私たちは、その場その場で、何が教会の徳を高めることになるのか、何が兄弟姉妹をつまずかせないことになるのかを考え、正しい判断を行っていくことが求められているのです。何が人をつまずかせるのかは、相手の信仰的な成熟、育った教会、育った地域などによって異なるので、判断はとても難しいものです。例えば、ヨーロッパ出身のクリスチャンと食事をする時にグラス一杯のワインを出したとしても何の問題も起きないでしょうが、アメリカの保守的な地域出身のクリスチャンにはほぼ間違いなく驚かれてしまうでしょう。アメリカでは「お酒は罪」と教えられて育っているクリスチャンが多いからです。

しかし、たったワイン一杯のことで、そのような人たちを驚かせたり、つまずかせたりする必要はありませんね。聖書の教えについて議論しても、愛の実が結ぶことはないでしょう。ですから、パウはそのような「ただ、あなたがたのこの権利が、弱い人たちのつまずきとならないように、気をつけなさい。」(8:9)と教えているのです。

ライフチャーチ
大谷信道


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