デイリーディボーション 7月30日(木)

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デイリーディボーション 7月30日(木)

2020年7月30日(木)
へブル人への手紙6:9-12 9だが、愛する人たち。私たちはこのように言いますが、あなたがたについては、もっと良いことを確信しています。それは救いにつながることです。10神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。11そこで、私たちは、あなたがたひとりひとりが、同じ熱心さを示して、最後まで、私たちの希望について十分な確信を持ち続けてくれるように切望します。12それは、あなたがたがなまけずに、信仰と忍耐によって約束のものを相続するあの人たちに、ならう者となるためです。
【ポイント】 ①宗教化されたキリスト教のイメージから抜け出す ここで言う「宗教」とは、日本人(日本人だけではありませんが)一般に見ることができる「宗教観」を指しています。例えば、それは、信仰の目的が自分の欲求(夢)の実現となってしまっている状態、その交換条件として信仰対象に帰依(服従)するというような態度です。もっと気軽な宗教観は、自分、家族、先祖の「幸せのための保険」です。
あなたは、自分の願いや夢が一切実現せず、祈りが全く聞かれていないと感じるような状況が30年、40年、50年と続いても、イエス・キリストの福音を信じ、イエス・キリストを愛し続けることができますか。別の何かを信仰している人が、この世で成功したり、望んだものを次々に手に入れる姿を見たら、心が揺らされることはないでしょうか。
再び、イスラエルの民の荒野での40年間を思い出しましょう。彼らは、荒野での生活とエジプトでの奴隷としての生活のどちらを良い物と感じていたでしょうか。多くの人は、エジプトでの奴隷としての生活のほうが良かったとつぶやいたのです(参:出エジプト16章、民数記11章、14章)。その原因は、神様の祝不の約束(自分の祈り)がすぐに実現しないことへの不満です。彼らには、神様の約束を信じる信仰に基づく忍耐がなかったのです。
私たち人間は「忍耐」が嫌いです。反対に、我慢をせずに自分の欲しいものが手に入れられることに大きな喜びを覚えるのです。ですから、消費者のニーズに素早く応える企業は人々に喜ばれ、売り上げを伸ばすのです。多くの宗教、そしてキリスト教にもこの価値観が入り込んでいます。繰り返し学んでいますが、人々のニーズに応える教会が良い教会であると勘違いしているクリスチャンが増えてしまっているのです。
もし、モーセとアロンが人々のニーズに応えていたら、彼らはエジプトに戻っていたことでしょう。しかし、神様の祝福の約束を信じた人々は、約束の地へと導かれたのです。神様の約束を信じず、一時的な不便、不自由を忍耐できなかった人々は、荒野で死んでいきました。この出来事からも、忍耐が信仰の一部であることをはっきりと知ることができるのです。
ですから、天に用意されている本当の祝福を忍耐強く待つことが、私たちの信仰(主への愛)を深めることにもなるのです。そして、そのような忍耐をした者が神様の目には「信仰の人」として映るのです。
マタイの福音書5章 「3心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。4悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。5柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。6義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。7あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。8心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。9平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。10義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。11わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。12喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」
ライフチャーチ 大谷信道


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