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2020年7月6日(月)
へブル人への手紙 3:7-11 7ですから、聖霊が言われるとおりです。「きょう、もし御声を聞くならば、8荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。9あなたがたの父祖たちは、そこでわたしを試みて証拠を求め、四十年の間、わたしのわざを見た。10だから、わたしはその時代を憤って言った。彼らは常に心が迷い、わたしの道を悟らなかった。11わたしは、怒りをもって誓ったように、決して彼らをわたしの安息に入らせない。」
【ポイント】 ①聖霊は「みことば」を語る 今日の個所のポイントではないのですが、7節の「聖霊が言われるとおりです」という部分に注目してみましょう。この聖霊の語りかけは、詩編95編の7-11節の引用です。当たり前のように見えるかもしれませんが重要なことだと思います。クリスチャンの中には「聖霊が私にこのように語りかけられたのです。」「私はこのように示されたのです」と言う方が少なくありません。しかし、私たちは、その語りかけが100%神様からの語りかけであるという根拠や確信があるのかを、自らに問いかける必要があります。「聖霊が語られた」というのは「神様が語られた」と同じことですから、そこに、自分の人間的な思いが入り込んでいたとしたら、私たちは「神の名をみだりに唱えること」になってしまうからです(出エジプト20:7)。
その点、ヘブル書の著者に起きた「聖霊が言われる」という状況には、それが神様からの語りかけであるという根拠を見ることができるのです。なぜなら、その語りかけは「聖書のみことば」だからです。さらに、詩編95編の引用(適用)が適切であるか否かを吟味することができる機会を与えていることにも、健全さを見ることができます。1コリント14章には「29預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。」と命令されているように、預言者ではない私たちが「神様(聖霊)から与えられた」と感じている事柄(一種の預言)は、「吟味」する必要があるものであって、決して旧約聖書、新約聖書の預言と、同等なものではないことを理解しておきましょう。
ヘブル書の著者が聖霊に示された詩篇95編のメッセージについては明日以降に学んでまいります。
ライフチャーチ 大谷 信道